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グローバル・ウインド [第7回] インドネシアの近況報告(前編) (2007年12月)

Global Wind (グローバル・ウインド)
[第7回] インドネシアの近況報告(前編)

井上義博

中央支会

(1)はじめに:
 2006年6月末にジャカルタに着任して1年半が経過したが、今般本社よりエジプト・カイロに転勤せよとの内示を受けた。1982年4月に入社し、いきなりインドネシア大学への語学研修留学の命を受けて同年8月より1年間ジャカルタに滞在。それ以来1987年から1991年までの営業職にての駐在を含めインドネシアとの関わりは25年を超えた。今回の業務駐在はわずか1年半ではあったが、過去の経験も踏まえ今回のジャカルタ滞在で私が感じたことを申し述べ、向こう数年間のインドネシアの展望につき私見を述べさせていただきたいと思う。こういう見方もあると軽く受け流していただきたい。

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 ジャカルタ中心街の風景。車の混雑と高層ビル

(2)社会の変化
 前回駐在した1987年から1991年当時と比べ、色々な変化に気づく。
 ジャカルタの目抜き通りには高層オフィスビルが立ち並び、駐在員の住居は一軒家からこれまた居住地区に立ち並ぶ高層のコンドミニアムに変わり(ジャカルタにいるときくらい庭つきの一軒家に住みたいという意識から、建物の出入りがチェックされるセキュリティ重視への変化)、運転手・女中まで携帯電話が必需品、日本食レストランの林立、日本語の現地新聞が配送され、税務・労務・法務・医療なども日本語で専門家のアドバイスを受けられるまでに日本人向けのサービスが充実し、ジャカルタではその気になれば仕事・日常生活共に日本語で事足れりという有様。

 なかでも隔世の感を抱いたのは、華人の地位向上と官僚ヒエラルヒーの崩壊である。

① 華人の登場;
 スハルト政権は反共政権であり中国とは長く断交状態にあった。これは政権奪取のきっかけが共産中国に支持されたとされるクーデターを国軍司令官として鎮圧にあたった事件に依拠することによるものである。それと同時に、国内に在留するインドネシア国籍をもつ華人も法律的・文化的に差別された。漢字の使用が禁止され、華人は高等教育機関への入学や公務員への採用でも制限されていた。流通などをおさえ商売上手の華人は経済的に豊かであり、これがまた土着のインドネシア人の反感を買っていたため、華人は目立たぬように町裏でひっそりと暮らすことを余儀なくされたものだ。
 ところが、2000年以降法律的にも差別が撤廃され、今年の春節を祝う公式の場で大統領が機会の平等を提供するとの演説を行うまでになった。今では、町のあちこちで漢字の看板が目に付き、一流企業が入るオフィスビルでは華人ビジネスマンが堂々と中国語を話している。中国との貿易が増大し、エネルギー分野をはじめ大型投資を行ってくれる中国をインドネシア政府首脳が訪問する頻度が増しているのを見るにつけ、日本人ビスネスマンの一人として考えさせられるものがある。

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 かつては見られなかった漢字の看板。今は大通りで目につきます。

② 官界の変化;
 スハルト時代は長期安定政権であり、派閥争いはあったものの国軍を含め官僚は大統領を頂点に抱く大臣をトップに各々のレベルで年功による人事ローテーションで回っていたが、スハルト退陣後政権の継続性が崩れた。これに伴い、大臣人事がころころ変わり、官僚は自分の地位の継続性や将来の予見性を失い、刹那的に利権確保に走るか、事なかれ主義に徹するといった態度をとるに至った。
 かつてはトップダウンで物事が決まり、その責任は最終的に大統領に帰するという認識が共有されていたため、意思決定のメカニズムが見えやすいという面があったが、今では状況が一変し、それぞれの段階で意思決定が異なったり、あるいは意思決定を回避するという現象が日常化してしまい、何も物事が進まないというあちこちで起こっている。

 一つには、現政権が汚職撲滅を政治スローガンに掲げ数々の組織を作って監視を強化し、また、マスコミが連日スキャンダルを報道する中で、リスクを張って新しいことを決断する意欲を官僚から奪っていることもあろう。

 これも民主化・自由化の産物であるが、そろそろ国益の観点からの抑制が必要ではないかと感じる。


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