Global Wind (グローバル・ウインド)
中国点描 1989年及び2010年
中央支会・国際部 井村 正規
2010年10月17日から23日までの1週間、中国の視察旅行に出る機会があり、本稿を執筆させていただくこととした。
前回のグローバルウインド(中央士会 後藤さえ先生執筆)も上海の話題であり、2回続けて中国の話題でよいのかとも考えたが、その後、尖閣問題と反日デモ・日本人会社員の逮捕問題・天安門事件に加担し投獄されながらノーベル平和賞を受賞した劉暁波のニュースとそれに対する中国政府の嫌悪感・習近平への政権継承と中国の話題が引きも切らずに報道されており、過去の状況及び最も直近の状況を客観的に報告することは診断士としての務めでもあろうと思い、筆をとった。
■1989年 中国■
1989年4月、私は商社に入社して3年目の1年間を中国で語学留学に派遣されることとなった。留学場所は東北地方の大連という町だった。5月に入ると街路樹のアカシアの大木に白い花が一斉に咲き始め、心地よい風が吹き、穏やかな性格の人々が暮らす比較的大きな地方都市だった。いわゆる改革開放の波で中国が大きく発展するのはもう少し後で、当時はまだ外国人の人民元使用はできず、兌換券という子供銀行券のような、なんとも頼りないお札を使っていた。人民元を国際化しようとしている現在とはまさに隔世の感がある。
◆1989年4月 ~天安門事件 きっかけ~◆
初めての海外生活をなんとかスタートし始めた私だったが、予想もしない大きな出来事に直面することになる。天安門事件である。
天安門事件のきっかけは、同年4月に政治局会議中に心筋梗塞で亡くなった胡耀邦の追悼集会と言われている。小さい体で元気よく明るくユーモアを絶やさない元党主席は親日派でもあり、国民からの人気も高かった。ちなみに中国には天安門事件は2回ある。一度目は、1976年だった。やはり国民から高い人気を得ていた周恩来の追悼から発展したもので、鄧小平の2度目の失脚につながるものである。1989年の事件は第2次天安門事件と呼ばれたり、中国国内では6月4日の日付から64事件と呼ばれたりしている。
◆1989年5月 ~学生デモの広がり~◆
大連市内でも5月中旬から学生によるデモ行進が見られるようになってきた。上記のように追悼の意から始まった天安門の動きは徐々に反体制の様相を帯びつつあり、デモ行進のシュプレヒコールでも打倒官僚や鄧小平・李鵬といった当時の政権の中枢への批判が叫ばれるようになった。しかしながら、内容的には過激ではあっても、デモそのものは非常に整然としており、近くで見ていても危険を感じるようなことはなかった。その後、デモを応援する勢力は徐々に広がりをみせ、中国のテレビ等のメディアも肯定的な論調でデモを扱い、言論の自由は存在するのかもという印象を持った。ハンストに突入した学生に対し、デモに対して穏健な姿勢だった趙紫陽が落涙しながら拡声器で学校に戻るよう説得する姿も強く記憶に残っている。5月末頃には海軍学校の学生までもが、制服でデモに参加していたことに正直驚き、もしかすると中国は大きく変わってゆく転機に差し掛かっているのかもしれないと期待させるものがあった。6月4日までは...。
◆1989年6月 ~天安門事件 鎮圧~◆
その日は駐在員の友人の部屋にいた。当時、外国人の住居は外国人居住区もしくは認められたホテルに限定されていて、友人の部屋もサービスアパートのような作りの外資系ホテルだった。外資系ホテルではNHKの衛星放送も受信できたので、夜のニュースを見ながら一杯飲もうと誘われていたものだったが、トップニュースで映った北京の映像はまさに愕然とするもので、多数の学生が座り込む天安門広場に人民解放軍の戦車が銃を持つ兵士とともに突き進んでいた。北京に留学していた会社の先輩は大使館からの連絡で緊急避難したが、翌日の日本行きの飛行機を待つホテルの窓から路上で銃を乱射する兵士を目撃している。その後も連日、各国メディアで過酷な映像が配信され、誤報も含めて海外からはものすごい量の情報を得ることができた。一方、中国のテレビ・新聞は天安門に関する一切の報道がなくなり、デモに肯定的だったアナウンサーは交代し、初めて見るアナウンサーが地方の農作物の出来高等を淡々と伝え始めたことに、逆に体が冷たくなるような恐ろしさを感じたものだった。
■2010年 中国■
さて、時計の針をぐぐっと巻き直して、現在の中国である。10月17日より1週間、中国を視察する機会を得たことが今回の記事を書くきっかけとなった。ここでは、私が見てきたものをできるだけ客観的にご報告させてもらうこととしたい。
◆世界遺産は大忙し ~観光産業としてのむらおこし~◆
安徽省黄山市南西に位置する宏村は北宋時代に塩の販売で富を得た汪一族により建築された町である。水路を巡らした町に明/清代の煉瓦建築の家並みが保存されている。

<写真①宏村風景>
このような古い文化を示すものが中国で保存されていることは極めて稀だ。文化財的な建造物のほとんどは文化大革命時代に打ち壊されてしまっているからだ。宏村の村人は文革の時代にも、町の遺産を守るために、家を泥で覆い、その上から「毛沢東主席万歳」と書いた紙を張り巡らせて過激な紅衛兵の攻撃をかわしたのだという。宏村は2000年に世界文化遺産に登録された。さて、面白いのは、このような古い家並みのほぼすべてが土産物屋、レストラン等、観光客相手の商売の場になっていることである。村人は家の軒先でお茶を焙煎し、石を削って工芸品を作り、雨が降れば傘や雨具も並べ始め、中国の地方としては極めて潤っているという印象を受けた。宏村は過去の先人が守った文化遺産の町という強みを活かし、世界遺産に申請することでブランド価値を創造し、町全体で観光に取り組むことにより大きな成功を遂げているようだ。
◆北京は大渋滞 ~成長の歪その①~◆
私は2006年に半年ほど北京で働いていた。だから北京はほんの4年ぶりではあるのだが、やはり大きな変貌を感じてしまった。2008年のオリンピックを契機としたのだろう、町には頻繁にゴミを回収する清掃作業員が多数おり、路上にはあまりゴミが落ちていないのが意外に思えてしまった。06年には建築途中だったビルもきれいに出来上がり、20年前からは想像を絶する成長を果たしている。
しかしながら成長のひずみもやはり発生しており、北京の朝夕の大渋滞は以前にもまして極めてひどい状態を呈している。空いている状態なら20分で通り抜ける程度の距離に1時間も2時間もかかる。北京市の自動車保有台数は2003年の200万台からすでに450万台にまで増加しており、この傾向には歯止めがかかっていない。日によって通行可能なナンバープレートを限定する政策も一向に奏功せず、路地には無断駐車の車があふれ、さらなる渋滞の要因になっている。
◆マンション大ブーム ~成長の歪その②~◆
中国人が不動産を売買できるようになったのはここ十数年の話である。とはいえ土地は国家の所有であり、購入するのは期限のある土地使用権である。住宅の場合には70年であり、一戸建てでもマンションでも永久の所有権が認められているわけではない。にもかかわらず、中国の不動産ブームはものすごい。北京オリンピックの選手村は、そのままマンションとして販売され、即時完売となった。販売時の価格は1万元/㎡だったとのことだが、現在では4倍程度に値上がりしているという。実際に住居として使用する以外に、純粋に投資として転売目的で購入した人も少なくないようで、不動産屋の連絡先が窓に貼ってある部屋も多数見受けられた。このようなマンションブームは北京や上海等大都市だけの傾向ではなく、安徽省黄山市という上海から200㎞も離れたさほど人口過密ではありえない地方都市ですら、マンション建設ラッシュを迎えていた。いずれバブルがはじけた時には相当量の不良債権が発生することは容易に想起されることである。
◆狭くなった巨大広場 ~政治的不安~◆
天安門広場は冒頭の天安門事件の舞台となった北京の中心に位置する巨大な広場だ。20年前には広場の中心にある記念碑以外なにもなく、四方が見渡せる極めて大きな広場であった。そのため、この広場は天安門事件のような抗議行動で人々を集めやすい広場でもある。今回まず、気づいたことは、ちょうど中ほどに広場を二分する大きなアストロビジョンが設置されていること。これにより広場は以前に比べ、狭く区分けされていた。当然人々がここに結集することをやりにくくする。

<写真②天安門のアストロビジョン 中央は見知らぬ中国人>
また、広場にいくつもある照明塔の一つ一つにおびただしい数の監視カメラが設置されていることにも気づいてしまった。「逮捕されちゃうかな?」と心配しつつ撮影した写真が以下である。

<写真③監視カメラ>
これらからは、天安門広場という極めてセンシティブな場所に無用に人々を集めさせない・集まった場合には記録に残すという無言の圧力のようなものを感じてしまった。中国は以前に比べ、経済的にはずいぶん自由化が進んでいるが、政治的にはまだまだ不自由な国のようである。
◆上海万博は大わらわ ~自国民へのメッセージ~◆
閉幕直前の上海万博を訪れた。

<写真④上海万博中国館>
つてがあり、中国館に待たずに入場することはできたのだが、入場してから展示フロアに着くまでにも1時間半もかかる長蛇の列でへとへとに疲れてしまった。印象的だったのは展示フロアの最初に準備されている10分ほどの映像だ。骨子をざっと説明すると、中国建国の頃に田舎の父親を残し、都市に出て、肉体労働に従事する若者が結婚し、子供を産み、徐々に豊かな生活を送るようになる。その子供が成長し、四川大地震で出会った女性と結婚し、さらにそのまた子供が年老いた曾祖父とともに緑豊かな大都市で幸せな生活を送るという4世代のストーリーで、過去の厳しい時代、現在の成長した中国の姿、そして将来にはさらに豊かな生活を期待させるメッセージが巧みな映像で表現されている。中国はこの映像を外国人ではなく、自国民に見せたいのだろうなぁと感じた。現在と過去を比較することで現在の発展した状況を再確認させ、将来の中国はその延長線上のさらに豊かに成長した姿になるという夢を与えている。私が訪れた日の入場者数は60万人。日本人を含む外国人はあまり見かけず90%以上は中国人と見受けられた。中国政府が自国民の理想となる国造りを標榜し、それによって格差に対する国民の不満をいかに和らげようとしているかの意図に関しては強く伝わってくるものを感じた。
駆け足の視察旅行ではあったが、中国のこれからの発展の確からしさと危うさの両方を垣間見ることができた旅であった。とても印象的だったのは中国の一般の人々が自国のこれからの成長に対してなんら疑問を挟まずに強い自信を持っていることであった。必ずしもそれが正しい根拠に基づいた自信ではないかもしれないが、ここ十数年、日本人の多くが抱いている、根拠のない漠然とした不安とは対照的である。日本と日本人を元気にすることは診断士としての私たちに課せられた使命かもしれないと感じながら帰国の途に就いた。
<執筆者紹介>
井村正規(いむらまさのり)
慶應義塾大学卒業。商社勤務48歳の企業内診断士です。大連での語学留学を皮切りにニューヨーク・シンガポール・香港・北京の海外駐在を経験しました。2008年夏に診断士受験を思い立ち、2010年4月登録。受験勉強時代の仲間と合格後、診断士受験生向けのブログを開始し、多くの受験生に勇気を与えるつもりが、逆に多くの読者から勇気を与えられています。
フレッシュ診断士研究会・BCNG(MC経営革新へのコンサルティング・アプローチ)所属
ブログアドレス:中小企業診断士一発合格道場 http://rmc-oden.com/blog/
本年登録したてのほやほや診断士です。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。