Global Wind (グローバル・ウインド)
中央アジア紀行(その1) -中央アジアの昔と今-
中央支会・国際部 安井 哲雄
「中央アジア」と聞いて、国名や地理的関係が直ぐにわかる日本人は少ないと思います。それでも、昔のシルクロード-東西交易の路で中国の新疆ウィグル自治区の西方にある地域と言えば、おおよその察しが付くでしょう。
中央アジアは、北はロシア、東は中国とモンゴル、南はイラン、アフガニスタン、西はカスピ海とアゼルバイジャンに囲まれたアジア大陸の内陸の地域です。標高3,000~6,000メートル級の天山山脈を中心に南はパミール高原(タジキスタン)やフェルガモ盆地(ウズベキスタン)、北のカザフスタンには大ステップ地帯とウラルアルタイ山系があり、西にアラル海とカスピ海があります。
中央アジアにはウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5ヵ国があります。いずれも旧ソビエト連邦を構成する共和国であり、1991年のソ連崩壊後に独立し、CIS(独立国家共同体Commonwealth of Independent States、ロシア語: Содружество Независимых Государств, СНГ)の一員です。
私は、2010年の冬にカザフスタンを訪問、2011年の晩夏にウズベキスタン、晩秋にキルギスを訪問しました。中央アジアは民族と文化の多様性、現代の政治における地政学的な側面や、天然資源と経済などの色々な面で関心を引かれました。私の少ない経験から中央アジアについて紹介したいと思います。
【中央アジアの概要】

1.民族と文化
カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスのいずれの国も民族の坩堝(るつぼ)で、様々な顔を見かけます。その歴史背景として中央アジアと周辺地域に跨る多くの民族の勃興と戦いによる栄枯盛衰の歴史があります。
先史時代に遊牧民のスキタイ人が北部地域を騎馬で駆け巡っていました。シルクロードではゾクド人(ゾロアスター教で有名)が支配していましたが、紀元前4世紀にギリシャ・マケドニアのアレクサンダー大王がアケメネス朝ペルシャを破りシルクロードに進出、サマルカンドを征服しヘレニズム文化をもたらしました。アレクサンダー軍は後に南下し、インドでムガール王朝が打ち立てられたとされます。
中央アジアでは、その後フン族などの諸民族が勃興し、6世紀にシベリアの北部にいたテュルク族がこの地域に移動し支配していましたが、7世紀にアラブに征服されアラビア語とアラブ文化が栄えました。テュルクとはトルコ語のトルコです。中央アジアにいたテュルク系民族のセルジュークらの集団が西方に移動し、11世紀、今のトルコにセルジューク朝トルコを建国しました。
中央アジアのキルギスは7世紀に中国・唐の支配下となりました。その後に中央アジアは13世紀にモンゴルのチンギス・ハンにより征服されましたが、その後、幾多の国が栄えては滅びました。18世紀に北からコザックやロシア傘下の人々の侵略を受けました。19世紀に帝政ロシアの植民地や属国になり多数のロシア人やウクライナ人農民が中央アジアに移住しました。帝政ロシアが革命で滅びソビエト連邦が成立するとともに、ソ連邦の共和国となりました。第2次世界大戦ではドイツ人、チェチェン人、ポーランド人、クリミア・タタール人が中央アジアに強制移住され、第2次大戦後は、シベリアに抑留された朝鮮民族や日本軍捕虜が中央アジアに送られました。尚、テュルクとはペルシャ語でトルコ人を意味します。

2.現代の地政学
中央アジアは近年、世界から注目されています。
一つは、ウズベキスタンの南に隣接するアフガニスタンで紛争が長引き、平和の構築と地域の安定が地政学的に重要になっていることです。その昔、ソ連はアフガニスタンに侵攻し戦争が長引いた結果、アフガニスタンから撤退。ソ連にとってアフガニスタン戦争は、いわば米国のベトナム戦争と同じような立場です。ソ連の撤退後に米国はアフガニスタンに係るようになり、2.11をきっかけに更に関与が強まり、今の状況に至っています。キルギスにはアフガニスタン作戦のため、ロシアと米国の空軍基地があります。
国際機関等の報告によれば、アフガニスタンからウズベキスタンに大量の武器や麻薬が流入し、ウズベキスタンを経由して世界に輸出されているそうです。国連報告書では2007年には世界中に流通するアヘンの92%がアフガニスタンで収穫されたとみられ、2006年の中央アジアでのヘロイン摘発量は過去10年間の4倍に達しています。このためウズベキスタン政府は麻薬武器の摘発対策に取組んでいるとされます。
今一つは、この地域は石油、天然ガス、ウラン、金、レアメタルなどの天然資源が豊富に埋蔵されています。農業では小麦や綿花などの大生産地です。旧ソ連時代は社会主義計画経済のもとでCISの国別に生産品目と生産量が決められ、中央アジア諸国はモノカルチャー経済でした。その影響は今も続いています。一方、国土面積に比べて人口が少なく工業が未発達で国内市場が小さく、将来の経済発展と産業振興が課題です。

カザフスタンのアルマティ市街より天山山脈遠望
こうした状況下で2010年にロシアはカザフスタン、ベラルーシと関税同盟を締結し域内の関税を引き下げ、広域経済の発展を図っています。例えば、ロシアは日本からの中古車輸入を禁止し、日本車メーカーはロシアに投資して自動車生産を行っています。関税同盟のおかげでカザフスタンは高関税をかけることなく、ロシアで生産した日本車を輸入できます。2011年10月に突如、ロシアのプーチン首相は「ロシアとCIS諸国(グルジアは除く)との間に2012年末までに関税同盟を結成する」と発表しました。また、中国、ロシアと中央アジア4ヵ国で「上海協力機構」を作っていますが、これば経済というよりも軍事的な安定の側面に重点があります。
恐らく、中央アジアと周辺国-ロシア、中国、インド、引いては欧米や日本との国際貿易の発展を図ることが、地域の経済と安定に重要な役割を果たし、グローバル経済の発展と世界の平和と安定化に繋がると思われます。
3.中央アジアと地域開発
中央アジア諸国ではソ連邦時代に建設した道路や鉄道などの物流インフラが老朽化し、インフラの整備、設備更新や管理運営面での技術能力の向上が課題となっています。物流インフラは貿易の円滑な促進にとって不可欠の要素であり、地域経済の発展と振興に影響を及ぼします。そこで、中央アジアの物流・輸送インフラの改善を目指して、アジア開発銀行や日本のJICAが協力支援を行っています。
これは中央アジア地域経済協力輸送回廊(Transport corridors of the Central Asia Regional Economic Cooperation、略してCAREC Transport Corridors)と呼ばれており、次のような記載が報告されています。- "Improving the road will reduce border-crossing time and transport costs, boost access to market and social services, develop tourism and generate employment opportunities. It will substantially reduce existing obstructions to trade and foster closer regional economic cooperation.
また、世界銀行のレポートには次の記載があります。-Afghanistan's stability and redevelopment provide an opportunity to enhance co-operation and re-establish historical ties and potential economic links between Central and South Asia through Uzbekistan.
実際にウズベキスタン、カザフスタン、キルギスのバザールやスーパーに行くと、域内の食物・食品などの産物や低価格の中国の工業製品や野菜・果物で溢れているのを見ます。少し高級なお店ではロシアから輸入された価格も質も高い食品が売られています。
中央アジアは、過去も現代も複雑な地政学上の要所です。歴史のロマンだけでなく、今も東と西の文化が出会い混じり合う場所として不思議な魅力があります。

ウズベキスタン サマルカンド市 レキスタン広場

カザフスタン アルマティ市 センコフ・ロシア正教教会
■安井 哲雄(やすい てつお)
東京支部中央支会会員、東京支部常任理事・国際部長。
グローカル経営研究所主宰、株式会社ワールド・ビジネス・アソシエイツ・チーフコンサルタント、ちよだ中小企業経営支援協会などに所属。
専門は経営戦略、ビジネスプラン、人材・組織マネジメント、物流・ロジスティクス、国際技術協力、国際化支援など。