Global Wind (グローバル・ウインド)
極東ロシア、コムソモリスク・ナ・アムーレ

中央支部・国際部 近藤 徹

はじめに
 
 2013年11月の後半、極東ロシアのコムソモリスク・ナ・アムーレを訪れた。商業支援の仕事のためである。成田空港から空路、2時間半ほどで着くウラジオストクやハバロフスクは比較的に日本にもなじみが深いのではないか。ハバロフスクから鉄路で北東に400㎞、アムール川下流域に位置する極東ロシア第三の都市、コムソモリスク・ナ・アムーレをご紹介したい。
1. コムソモリスク・ナ・アムーレ
 コムソモリスク・ナ・アムーレは、ロシア語で「アムール川の共産党青年同盟」の意である。アムール川沿いの公園には1932年に置かれた共産党青年同盟の開拓記念の巨大な岩がある。当時の急速な工業化の波を映して、100万人規模の工業都市建設が計画された。その後、30数万人の人口を数えるに至ったが、現在は26万人ほどである。人口減少の理由のひとつは、極東ロシア最大を誇った鉄鋼会社の破たんである。その鉄鋼会社は1996年に解体されて事業再生途上であった。2013年9月、中核であるアムールメタルが韓国のポスコに経営を委託する旨の覚書が交わされている。他には、造船業、航空機製造業などがあり、ロシア空軍のスホイ戦闘機を製造していることで有名である。工業の他に、コムソモリスク・ナ・アムーレ工科大学をはじめ、教育に力を入れていることでも知られている。
 属するハバロフスク州では、最大のハバロフスク市が人口55万人ほどである。ハバロフスク州の南西端は中国国境に接している。ハバロフスク州は沿海州沿いから南北に広大な州であり、ほとんどが山岳、森林地帯だが、ハバロフスクやコムソモリスク・ナ・アムーレなどがアムール川沿いの低湿地地帯にある。
 国境が接していることもあり、中国系、韓国系の他、先住民族であるナナイ族(オロッコやアイヌに近いとされるツングース系)も居住する。
 重要な工業都市であるが、産業の衰退とともに商業・サービス業も停滞している。日本の中心市街地のように、町の活性化が課題となっている。
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 夜明けのコムソモリスク・ナ・アムーレ   コムソモリスク・ナ・アムーレ工科大学
2. 寒くないロシア~旅、空路、鉄道~
 ロシアの国土は広大で東西にも長く、モスクワやサンクトペテルブルクなどの欧州ロシアと、ハバロフスクなどの極東ロシアとは文化も気候もずいぶん違っている。時間帯は8つに分かれており、日本と極東ロシアとの時差は2時間である。
 当初は9月に訪露の予定であった。ところがアムール川の洪水警報のために11月に延期になった。アムール川は源流部からオホーツク海の河口まで約4,400㎞の長さの大河である。川幅は広いところでは4㎞もあり、通常の水深は4m程度という。そこへ上流部の大雨が流れ込んで水深は8mに達し、さらに16mに達するという予報が出た。当地の雨ではなく、遙か上流の隣国の大雨が数週間の時を経て大洪水を引き起こすのである。その後、予想通りに幹線道路はすべて冠水してしまい、政府はハバロフスクからコムソモリスク・ナ・アムーレまで臨時の航空便を運航していた。
 州都ハバロフスクからコムソモリスク・ナ・アムーレまでは夜行寝台列車が主な移動手段である。400㎞の距離だが、列車は夜8時に駅を出て、翌朝6時着という10時間の旅である。ハバロフスク駅を出ると列車は中国国境近くをかすめてユダヤ自治州に入る。アムール川沿いの湿地帯を迂回するためだ。ゆっくりと走って、途中、何度も何度も小さな駅に停まる。真っ暗闇で何も見えない。深夜、列車はその速度を増して、レールの継ぎ目では大音響がひびき、激しい揺れでベッドから落ちそうになる。再び速度が落ちて、小さな駅に停まりはじめると終着のコムソモリスク・ナ・アムーレだ。
 大雨だけではなく、暖冬であることもこのところの特徴である。滞在中、気温はほとんど零度からプラスマイナス1度の範囲内だった。これは降雪があってもほとんど凍結しない温度である。そして驚いたのは、夜になっても気温が下がらないことだった。夜更けの帰り道でも気温は変わらず、凍結しない道路がジャブジャブしていた。さほどめずらしいことではないという。重要なのは風であり、体感温度に強く影響するので天気予報では必ず風速、体感温度が表示されるとのことであった。
 町なかの移動はすべて車であり、ホテル、大学、レストランなどの建物内はとても暖かく、寒さはまったく感じなかった。機能性下着を着ていたため、汗をかいて暑いとさえ思えた。当地の人に笑われた。ロシアの室内は暖かいので下着は薄いものを用いて、外側にどんどん重ね着をするという。室内が暑ければTシャツになるまで脱ぐのだと。日本人は下着を着こむけれど、人前では脱げないでしょうと。
 ロシアは寒くない。東京に戻ってから、家の廊下やトイレが妙に寒く感じられた。
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 ハバロフスク市内、右手にアムール川    夜行寝台列車のコンパートメント
3. 商業・サービス業
 商業は人の集まるところに自然に発生する。紀元前二千年頃、中国の中原に商という国があった。商の人びとは需要を見極め、自助努力によって国境を超えて交易を始めた。それにちなんで商人、商業と呼ばれる。
 そういう自助努力を行わない一部の例が、現在のロシアにあるかもしれない。航空機内、ホテルなどで日本や西欧諸国で一般的なサービスはほとんど受けられないと思ったほうがいいかもしれない。笑顔が見られないことに気がつく。
 この冬がやって来る前に、アエロフロート航空は週三便あった成田・ハバロフスク線の運航を取りやめた。そのためこの路線はS7航空の週二便だけである。アエロフロート撤退後、S7は運賃をほぼ倍に上げた。機内サービスは、日本の駅弁のような箱のランチボックスと紅茶などの飲料である。筆者はこのランチボックスはお気に入りである。
 ホテルの設備は新しくはない。蛇口から茶色の水が出たりする。アメニティも期待できない。テレビとLANはある。しかし、充分である。フロントの対応は、当地のサービスに対する考え方を具現している気がする。決められたことしかしない。旧体制の仕事の仕方が残っているという声もあるが、批判もできない。マニュアル通りであるならば、マニュアルの問題だからだ。また、英語も通じにくかった。
 それがすべてというわけではない。今回の仕事の講義に集まった人たちは、商業関係者、メーカー社員、通信業者、行政関係者などであったが、総じて探求心が強く、海外経験がある人も多く、心が開かれていた。
 小売業で特徴的なのは店のつくりである。建物は鉄筋コンクリートの高層建築でなければ、レンガづくりが多く風情がある。外部からお店の存在がわかりにくく、視認しづらい。防犯や保温にも関わりがあると思う。ガラス張りのショーウインドウやディスプレイはほとんど見られない。
 スーパーマーケットの品揃えは圧巻である。お菓子やジュース、ヨーグルトなどの種類の豊富さには目を見張る。ロシア経済危機当時の様相は遠い過去のものとなっている。それらの商材は輸入品も多く、野菜はほとんど中国産である。食料品の価格は安くはない。特に極東地区は高いらしく、人口流出の大きな要因とも聞いた。
 ロシアではキオスクが有名である。この地ではテント小屋のようなつくりで、路上にあるものを指す場合が多い。同じつくりでホットドッグスタンドだったりする。鉄道駅の構内にはない。もちろん自動販売機もない。駅では何も買えない。空港も似たようなものである。ハバロフスク空港にはドリンク、菓子類の売店のみだった。土産品は免税店に酒、たばこ、香水類があるだけである。
 コムソモリスク・ナ・アムーレでは、産業の衰退、人口減少という背景のもと、まちづくりや商業・サービス業の改善に目が向けられている。これまで日本からは技術移転などが支援の中心だったが、今後は商業・サービス業の支援の比重が増すかもしれない。
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 ショーウインドウのあるアパレルビル       S7航空のランチボックス
4. 本邦企業の活動
 インターネットや携帯電話の普及率はとても高い。しかし、情報のほとんどがロシア語なので情報収集には困難を感じる。そのような状況のもと、歴史や体制の変化を乗り越えて、本邦民間企業の活動は活発である。
 ハバロフスクのホテルのロビーに缶飲料のダイドードリンコの自動販売機があった。銀行のATMと並んでいたが、中は空のようで見本のコーヒー缶には120円という日本の価格表示があった。その時はさして気にとめなかったが、帰国後に同社の戦略を知ることとなる。同社は2014年からモスクワや主要都市で自動販売機による清涼飲料の販売を開始するという。得意の自動販売機ルートを使ってのロシア市場の開拓である。
 遙か北方のシベリアにヤクーツクという都市がある。ここに日本の港湾で使っていた機械設備をそっくりそのまま移設するという案件を聞いた。もうすでに設置の段取りが進んでいるかもしれない。いろいろな意味で情報が取りにくいのだが、民間企業はしっかり現地と仕事をしていることがわかる。
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 銀行ATMと並ぶ缶飲料自動販売機     テント小屋のホットドッグスタンド
おわりに
 観光を目玉に国内外から人びとを呼び込んで、経済を活性化させようという試みはここでもなされている。しかし、日本からの観光客は限られており、それが冬期間の航空機の減便の一因でもある。
 アムール川周辺地域やコムソモリスク・ナ・アムーレは自然が豊富である。コムソモリスク・ナ・アムーレには三つのスキー場がある。ソチのオリンピックにもアルペンスキー選手を輩出しているかもしれない。
 ハンティングやフィッシングも盛んである。しかし、それが目的でやってくる観光客はほとんどすべてが欧米からであり、日本からではない。動物では、ウスリータイガと呼ばれる深い原生林に住むアムール虎が有名だが、目撃情報は実は郊外の人家に多いらしい。ウラジオストク周辺の家の庭につながれた犬がよく襲われるという。虎は鎖につながれた犬を食いつくすまでその場を離れず、その間、家の中で人は恐怖に震えながら虎が去るのを待つしかないのだという。何しろ、象の次に大きな猛獣である。
 食事も、現地でしか味わえないものがある。スープの定番、ボルシチはビーツのために赤紫色だ。日本では代用のトマトで赤いものが多い。ピロシキは油で揚げていないので肉まんのようである。
 新潟県加茂市では、コムソモリスク・ナ・アムーレで戦時中に抑留体験のあった方が中心となり、市役所内に国際交流協会が設立され、子どもたち同士の交流が続いている。
 ハバロフスクも抑留地であった。中心市街地から空港に向かうと道の右側に共同墓地が現れる。日本人会の方々が、清掃などのボランティアを行っているが、それ以上にハバロフスク市がよく管理してくれているので感謝しているとのことだった。