鳥海 孝

■「事業承継」について
 平成23年3月に中小企業基盤整備機構が実施した「事業承継実態調査」によると、先代から事業を引き継ぐにあたり苦労した点として、トップに挙げられているのが「経営力の発揮」です。これは、経営力の引継ぎには時間がかかること、また経営力が目に見えない無形のものであることなどがその背景にあります。本稿では、経営力の承継についてのポイントを、経営理念、ビジネスモデル、経営ノウハウ、人的ネットワーク4つの視点から私見を述べてみたいと思います。
■ 経営理念の承継
 目に見えない無形なものの中で最も重要なものは「経営理念」です。どの企業にも経営理念は必ずあります。しかし、経営理念が経営者の頭の中にとどまり、それが従業員の方に示されず、会社全体として共有されていないことがよくあります。このような場合は、目に見える形に(見える化)する必要があるでしょう。経営理念の承継は、経営者だけが持つ経営理念から、経営理念を持った従業員の承継という考え方が必要です。
 また、これから経営理念を定めよう・はっきりさせようという場合は、次の3つの角度から考えてみたらいかがでしょうか。経営するにあたり大事にしてきたこと、現経営者が先代から受け継いだこと、さらには会社の過去の重要な出来事の際にどのように乗り切ってきたかなどを思い起こすとよいでしょう。これらを整理しながら、誰にでもわかるような平易な文言で示せば立派な経営理念となります。
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 次に、現経営者が後継者に想い・考えを示し、新旧の経営者間で共有することが必要です。さらには、これを社内の従業員はもとより、社外の利害関係者にも発信し、いままで築いてきた経営者への信頼や信用力の確保に繋げます。
■ ビジネスモデルのチェック
 これは「魅力ある事業」になっているかどうかということです。少し古い情報ですが、2007年版中小企業白書に興味深いデータがあります。
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 過去の事業者対雇用者所得の割合を示した図表です。1990年では事業者収入と雇用者所得の割合は「1」程度、つまり同じ水準でしたが、2005年時点では0.5~0.6程度まで落ちてきています。このことから、所得面からの事業経営の魅力がなくなった、それは事業の収益力が低下してきた、ということが推測されます。後継者候補からみれば「魅力ある事業」とはいえない、ということになりかねません。事業承継は「事業に魅力がある」ことを前提に語られることが大半であります。このままでは後継者を見つける以前の問題です。事業承継の前に自らの事業に魅力があり、収益が伴っているかどうかを問う必要があります。事業を魅力あるものにするには、ビジネスモデルのチェック・再構築が重要です。自社のビジネスモデルを次の6つの視点からチェックし、必要があれば、見直し・再構築しておくことが大事なことです。
 ・お客様にとっての価値は何か。どのように創っていくか
 ・価値を提供する仕組みをどのように創るか
 ・お客様との良い関係をどのように創っていくか
 ・収益獲得の仕組みとコストの構造をどのようにしていくか
 ・事業展開に必要な情報の整備と活用をどのようにするか
 ・経営資源(ヒト・モノ・カネ)をどのように調達し、事業に配分するか
(出所:(一社)東京都中小企業診断士協会中央支部マスターコース「経営革新のコンサルティング・アプローチ」講義資料)
■ 経営ノウハウの承継
 経営ノウハウにはさまざまな着眼点があります。技術や人材に関するノウハウ、さらには業務の進め方などもありますが、ここでは経営判断、意思決定スタイルについて触れてみます。経営判断・意思決定を行う場合、何をその拠り所とすべきでしょうか。まずは「経営理念」ですね。これをもとに関連情報や状況の変化を予測し、方向性や結論を導きます。
 また、過去の経験から学んだことや思考の傾向なども経営判断・意思決定のスタイルを決めています。これもノウハウですので、この点もぜひ後継者に伝えたいところです。そのためにも過去の重要な出来事や大きな環境変化に対し、どのような経営判断を行い、結果としてどうなったか、その要因は何か、ということを振り返ってみるとよいでしょう。その際は、今までの事業経験を次のような表にまとめみたらいかがでしょうか。
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 なぜ成功し、なぜ失敗したのか、このことが、後継者が今後事業運営を行う際の良いヒントになるでしょう。
 さらに、経営の意思決定はその時々の条件を踏まえて最適な答えを出す必要があります。これを基準書などにすることはなかなか難しいと思いますので、バトンタッチ前後は次のように行うとよいでしょう。
・重要案件は現経営者・後継者で意見交換をしながら進める
・必要な情報や意思決定のプロセスを共有する等
 この経営ノウハウの承継は、時間と根気が必要であり、確実性を高めるためにも、準備期間において経営者によるマンツーマンでの後継者OJT教育を行っていく必要があります。
■ 人的ネットワークの承継
 会社内外の利害関係者(ステークホルダー)のリストアップと整理を行います。組織(取引先・金融機関など)、キーパースン、思考傾向、過去の重要な出来事での貸し・借りなどを承継する必要があります。社内経営幹部、従業員、取引先(お客様、購入先)、金融機関、支援関係者などに後継者を受け入れてもらい、従来と同様の関係を継続する必要があります。以下のようなマトリックス表でリストアップ・整理されてみてはいかがでしょうか。
(人的ネットワークマトリックス表)
図6_20131231_06.png
■ 事業承継計画に織り込む
 以上のことを事業承継計画に織り込み、着実に進める必要があります。事業承継は早めに開始し、時間をかけてじっくり取り組むことがその実現性を高めます。特に、以上述べた目に見えないもの(経営理念、ビジネスモデル、経営ノウハウ、人的ネットワーク)は、事業用資産・自社株対策以上に長期的な視野で取り組むことが重要となります。
 なお、本稿は専門家コラム「事業承継は経営理念の承継から」(2007年11月)を見直したものです。皆様のより確実で円滑な事業承継の一助になれば幸いです
 
 
 
■鳥海 孝(とりうみ たかし)
(一社)東京都中小企業診断士協会中央支部副支部長(総務部長兼任)
ビジネス・ソリューション研究所代表
中小企業診断士、ITコーディネータ
専門分野:経営戦略策定、ビジネスモデル構築、財務戦略策定、事業再生支援など