磯山隆志

 人を大切にする経営が注目を集めています。しかし、それを実践することは難しいともいわれています。皆さんは自社にかかわる人を大切にしているでしょうか、そして、その人は大切にされていると実感しているでしょうか。ここではアドラー心理学を活用して、人を大切にする経営を実践する考え方についてお伝えします。

 

1.人を大切にする経営とは

 

近年、人を大切にする経営が求められています。経営環境が早く、激しく変化する状況で、業績を安定させ企業を継続するには、企業にかかわる人々のモチベーションを高め、新たな市場を創造できる人材を確保することが不可欠です。それには企業にかかわる人々が幸せでなければなりません。

人を大切にする経営学会によれば、人を大切にする経営とは「人、とりわけ社員等の満足度や幸せこそ最大目標であり最大成果と考える」経営を意味しています。つまり、企業経営にとって業績向上や成長・拡大等は目標ではなく、人を大切にし、幸せにした結果としてもたらされるものであるという考え方です。ここでいう人とは以下の5人を指します。

 

  • 従業員とその家族

まず、第一に大切にしなければならない人です。従業員は顧客が満足するとともに感動する商品・サービスを創造する人です。家族はその従業員を支える人です。したがって、従業員とその家族の幸せを追求することが最も大切になります。

 

  • 仕入先・外注先とその家族

社外で自社に協力し、仕事をしてくれている人とそれを支える人です。自社の仕事をしているわけですから、従業員の次に大切になります。

 

  • 顧客

従業員が大切にしなければならない人です。顧客が従業員の創造する商品・サービスで幸せを感じるからこそ、市場が形成され、業績につながり、企業が継続することになります。

 

  • 地域社会・住民

社会にとって有益でない企業が事業を継続できるのでしょうか。身近な地域社会への貢献は企業にとって果たすべき責任の一つといえます。また、企業の社会的貢献は地域住民に評価されます。

 

  • 株主

自社に出資し、支援してくれる人です。これまでの4人が自社に対して高い満足度を感じていれば、その結果として株主は配当金や社会的に評価の高い株式を保有することで満足感を得られます。

 

2.アドラー心理学の基本的な考え方

 

アドラー心理学はオーストリア出身のアルフレッド・アドラーによって生み出され、その後継者達によって発展した理論です。アドラー心理学の目的の一つは人として、どうすれば幸せになれるかを見つけることにあります。普通の人が幸せになるために日常生活で使える実践的な心理学です。アドラー心理学に特徴的な考え方として次のようなものがあります。

 

  • 自己決定性

人は自分自身で行動することを決められるという考え方です。人は状況に応じて受動的ではなく、能動的に行動を決めています。例えば、困難の中にあっても、諦めるか、克服しようとするかは誰でもない自分で決めることができます。自分を作ったのも変えるのも自分自身です。つまり、人生の主人公は自分自身だけです。

 

  • 目的論

人の意思によるすべての行動には目的があるということです。原因があって行動するのではありません。人は自分で目標を設定し、そこに向かうために目的を持って行動します。目的があるとき現状とのギャップが生じます。そのギャップを埋めるため能動的に努力するのが人間であると考えます。適切な行動だけでなく不適切な行動にも目的があります。不適切な行動に対して原因ばかりを追求しても解説はできますが、解決にはなりません。それぞれの人が持つ目的を探ることにより、解決方法も見えてきます。

 

  • 全体論

人は心と体や理性と感情などに分けることはできず、一体となって目標に向かうという考え方です。つまり、人の中で矛盾や対立はなく、行動に注目し、部分でなく全体として個人を理解することです。例えば、頭ではわかっていても行動できないというのは、行動したくないのだと考えます。また、単純に部分を足しあわせて全体になるわけではありません。人は必ず社会集団の一員です。集団の中での個人を考えたとき、一人の影響で集団が変わることがあります。

 

  • 認知論

人はそれぞれが異なる自分だけのものの見方をして、物事に自分なりの意味づけをしているという考え方です。したがって、人は本当の現実を知ることはできず、現実だと信じているにすぎません。例えば、過去の経験や現在の課題を自分なりに解釈したとしても、他人の見方は違うかもしれません。あまりにも人と違う歪んだ見方や極端な見方をしている場合には注意が必要です。

 

  • 対人関係論

人の意思によるすべての行動は特定の誰かに向けられたものであるということです。相手との関係性によって目的や行動は変わりますし、自分の行動によって相手の行動が変わることもあります。人は対人関係の中で相互に影響し合っています。どんな人にどんな態度を取っているかによって、その人を理解できます。

 

  • 共同体感覚

人間共同体への所属感、信頼感、貢献感といった感覚のことです。精神的な健康の指標としてアドラー心理学を実践するときの目標とされます。人は共同体の中に生きています。したがって行動も共同体の中でのみ意味を持ちます。共同体にとって建設的で有益な行動により、自分のマイナスの現状をプラスに変えられる人は誰でも幸せになれると考えます。個人が共同体に積極的に参加し、成長することが共同体の成長にもなります。

 

3.アドラー心理学で人を大切にする経営を実践する

 

なぜ、経営において、人を大切にする必要があるのでしょうか。そもそも、大切にされたくない人、幸せになりたくない人はいるのでしょうか。そして、大切にされない人がモチベーションを高めることはできるのでしょうか。ここではアドラー心理学の考え方を活用した解決法についてお話します。

 

  • 人として尊敬・信頼する

責任や能力、役割に違いがあったとしても、人間の価値に違いはありません。同じ人として存在しているだけで尊敬に値します。ここでいう信頼は相手の行動に善意を見つけ、未知の領域をそのまま受け入れることです。従業員と接するとき、相互尊敬・相互信頼の関係がなくて、本当の気持ちを知ることはできるのでしょうか。

例えば、ある企業では経営者が現場の声を聞くために頭を下げ、従業員も不満や厳しい言葉を返したといいます。組織として支配的な関係が必要な場面もありますが、誰も支配で動機付けられたいと思ってはいません。尊敬や信頼に基づいた対等の関係の中で動機付けられるから積極的に貢献できるのです。最もモチベーションが下がるのは上司への不信感だといわれます。まず経営者から、人として従業員を尊敬・信頼する態度をはじめることが必要です。

 

  • 従業員に共感する

ここでいう共感とは、相手の関心に関心を持つことです。人は誰でも自分に一番関心があります。自分だけのものの見方で相手に接して、良い人間関係は築けるでしょうか。

先ほどの従業員から不満や厳しい言葉を聞かされた経営者は、その言葉を受け止めて、業績ではなく自社にかかわる人々を幸せにすることを目標にしたといいます。自分の立場を押し付けず、共感する姿勢が変革のきっかけになったのです。従業員との対話は今でも継続しており、良い人間関係の中で経営者と従業員が幸せという目標を共有しています。同情するのではありません。同情では依存的な関係になる可能性があります。例えば、障がい者を雇用して成功している企業は同情するのではなく、働いて社会に貢献したいという意欲に共感し、その能力を活かせるような職場づくりをしています。他人の見方を理解することが対人関係を良くするのです。

 

  • 勇気づける

ここでの勇気づけとは困難を克服する活力を与えることです。具体的には、尊敬と共感の関係の中で相手の良い点を見つけ、社会に対する建設的な行動に注目をし、達成できた成果や成長を認めることです。

困難な状況で自分が社会に役立つ存在であることを諦めてしまわないようにしなければなりません。 例えば、障がい者を雇用して成功している企業では、従業員が自分や他人の良いところに注目し、互いに感謝して協力する職場の環境があります。こうした環境の中で自分が社会に役立つ人間だと実感できるようになるのです。

相手を自分にとって都合のいいように操作するのではありません。同じ目標を持ち社会に貢献する人として、自律的に行動できるよう勇気づけるのです。先ほどの自社にかかわる人々を幸せにすることを目標に変えた企業では、従業員が自律的に社会貢献を行い、その行動に共感する顧客がリピーターとして増加しています。勇気づけの実践は他者に伝わり、広がっていきます。

 

誰もが自分と自分の大切な人の幸せを望んでいます。業績を作るのは自社にかかわって幸せになった人です。人を大切にする企業は、人から大切にされる企業になります。まずはアドラー心理学をきっかけに、はじめてみてください。

 

 

■磯山 隆志(いそやま たかし)

東京都中小企業診断士協会 中央支部執行委員 総務部副部長 ビジネス創造部員

ITコーディネータ ITストラテジスト システム監査技術者 情報セキュリティスペシャリスト