大野 進一

1.はじめに
 温泉大国の日本には大小3,000以上の温泉地が全国に存在します。さらに日帰り温泉は7,700以上存在します。特に最近は、従来の温泉地とは場所も形態も異なる日帰り温泉が登場しています。今回は、日帰り温泉の変遷を通して日本の温泉文化を考えます。
2.温泉地の発展
 温泉は、日本書紀や万葉集にも登場し、古くから日本人に親しまれてきました。平安時代から大正、昭和の初め頃まで、多くの温泉地では、日帰り温泉が一般的でした。日帰り温泉と言っても、それぞれの温泉地は、温泉井戸の近くに共同浴場(外湯)が作られ、その周辺に旅館が建ち並んでいました。
 旅館の宿泊客は、旅館から共同浴場に通いました。この頃の温泉地の利用目的は、病気や怪我などを癒すため長期逗留する湯治が主流でした。
 その後、温泉地の旅館自身が温泉井戸を掘ったり、複数の旅館が協力して各旅館に温泉を給湯するすることによって旅館の中に浴室が作られた内湯旅館が主流になっていきました。
 戦後は、新しい温泉地が数多く開発されました。加えて、鉄道や道路などの交通網が整備されたことで多くの人々が温泉地を利用するようになりました。そして、温泉地の利用目的も湯治の治療型から保養型や団体旅行の増加によって歓楽型が主流となって行きました。
 高度成長期から昭和の終わりまで、日本の温泉地は発展を続けました。環境省の温泉利用経年変化表によれば、1965年に宿泊施設を備えた温泉地数は1,331、共同浴場(外湯)などの日帰り温泉(公衆浴場)数は1,629でした。その後、1975年は温泉地数1,939、日帰り温泉数1,992、1985年は温泉地数2,145、日帰り温泉数2,594と温泉地の発展と足並みを揃えて増加していきました。
3.新しい日帰り温泉の登場
 このように、温泉地と共に増加してきた日帰り温泉ですが、1990年になると温泉地数の2,360に対して日帰り温泉数が3,283と急増しました。
 1988年に竹下政権のふるさと創生事業の交付金1億円を使用して温泉を掘削する地方自治体が多数現れました。そして、首尾よく温泉を堀り当てた地方自治体が、補助金等を利用してコミュニティーセンター、交流センターとして公共の日帰り温泉が多く作られました。
 これらの日帰り温泉は、これまでの温泉地ではなく、農村地帯や地方のバイパス道路沿いに大きな駐車場、食堂、休憩室、直売所などが併設され地元住民や観光客に利用されています。
 さらに、2000年には温泉地数2,988、日帰り温泉数6,038と温泉地の倍以上となりました。この頃になると温泉掘削技術の進歩により、これまで温泉とはまったく無縁の場所でも、最新技術を利用してより深く掘削することで、続々と新しい温泉を堀当てることができるようになりました。
 この結果、大都市の繁華街や住宅地周辺でも堀当てた温泉を使用した温泉銭湯、スーパー銭湯と
呼ばれる日帰り温泉が次々とオープンしました。
4.日帰り温泉は新しいステージへ
 2000年以降、大都市圏に温泉テーマパークと呼ばれる宿泊施設も併設した大規模な日帰り温泉がオープンし人気を集めています。また、多くの遊園地や娯楽施設でも施設内に日帰り温泉を併設するケースが増えています。
 2010年には、温泉地数3185に対して日帰り温泉は7902と2.5倍にまで達しています。日帰り温泉の増加によって、温泉をより身近でより手軽に楽しめるようなりました。
5.おわりに
 日帰り温泉の増加に加え、最近は、足湯があちこちに作られ足湯のある新幹線やコンビニも登場し、温泉は、さらに身近になっています。数年後には、東京の都心でも温泉旅館のオープンが計画されています。
 反面、温泉地の宿泊者数は1993年以降減少傾向が続いています。日本の温泉地は長い歴史の中で接客、料理、名物、芸能等の温泉文化を築いてきました。温泉文化は、日本のおもてなしの原点でもあります。これからは温泉と温泉文化を世界に誇れる日本の宝物としてアピールしていくことが大切です。
■大野 進一 (おおの しんいち)
中小企業診断士
日本証券アナリスト協会検定会員
東京都中小企業診断士協会 中央支部会員部 部長