国際部 中川 聖明

はじめに
 自分自身の海外との接点は、グローバル展開している会社の勤務時代と家族旅行のみで駐在経験はございません。会社員時代の最後の方ではSkype会議が増えて実際に現地に行くことも少なくなりました。また、最近の新型コロナの蔓延で海外もそうですが、国内の移動も憚られる時期でした。数少ない海外渡航経験を現地で購入したお土産をみながら振り返ってみたいと思います。

(1)アイルランドの思い出(1998年)
 初めて会社業務で海外出張したのが、1998年の関東医薬品メーカー労働組合の上部団体メンバーと行った海外視察でした。趣旨は欧州、中国、米国の3つの各拠点に工場、支店、現地法人を構える企業訪問や薬業団体をご訪問して見学や現状把握をする内容がメインでしたが、私は欧州に参りました。行程は随所観光も備りとても楽しい時間を過ごせました。
 勤務していた製薬会社はアイルランドのダブリンに工場があり、米国向けに原材料の製造販売を行っていました。当時はアイルランドとして全世界から工場誘致を行っており、法人税も優遇税制がありタックスヘイブン地域とも言われました。また、移転価格税制の国税当局の活動も顕著な事例があり、各会社は情報収集でイギリスやアイルランドに経理担当者の派遣が相次きました。工場訪問の当日は日帰りでヒースロー空港からダブリンに向かいましたが、天候が悪く航空機がエアポケットに嵌り怖い思いもしました。一方現地はとてものんびりした時間が流れ、違った意味でもヘイブンでした。アイルランド工場までの迎えのバスには運転手がいなくて、発車まで20分くらい待ちました。これはアイルランド時間というようですが、当時は土日もせっかちに組合専従として働く自分とのライフスタイルの違いを感じてこちらの生活に憧れたものです。
 プラント設計や製造の技術指導は日本からの派遣行われていたので、日本的雰囲気が満載でした。運営は外国人社長ですが、講話では同じベクトルと目標に向かうように役割が違う工場スタッフまとめているとか、品質、安全重視等で正に日本的経営が行われていたと感じました。現地には短期技術指導者の1名と管理部長1名の方が単身赴任されていましたが、管理部長の方に単身赴任の状況はどうですか?とお聞きしましたところ、日本国内での近距離では単身赴任という概念では無い。地球の裏側に乗り込んで初めて単身赴任といえるとか、休日に日本人同士で群れずにアイルランド人との接点が多いとか、当時は逞しさすら感じられる意見交換ができたと記憶しています。ただ、それでも現地ではたばこの値段が高いのを嘆いていました。資料によれば、1998年当時でも価格は日本の2倍、価格に税金が占める割合が75%位あったようで、その駐在員の方からは、今度アイルランドに来るときは免税店でたばこを大量にお土産にして持ってきて欲しいと依頼をされました。
 お土産は、「アイルランドの卵立て」です。
1_アイルランド卵立
 防止の部分に殻付きの半熟卵を入れて使用するのですが、アイルランドのナショナルカラーである緑が実にきれいです。アイルランド内の限定品でした。

(2)ドイツの思い出(1998年)
 引き続き労働組合の海外視察の話です。ドイツではデユッセルドルフでライン川下りをした後に、フランクフルトでは後発品(ジェネリック)医薬品協会の訪問をしました。医薬品は薬価制度と特許があり、絶えず価格競争にさらされています。薬価は健康保険から償還される公定の薬剤価格で調剤薬局が受領する金額で定期的な見直しがあります。医師が受領する診療報酬が上昇するのに相反して、殆どの品目で低下します。通院中で気づかれた方もいるかもしれませんが、2022年4月も値下がりしたと思います。一方特許はプログラムされた死ともいわれており、基本的には出願日から20年有効です。実際は出願後開発期間がありますので、権利保護される販売期間はさらに短くなります。そこで新薬メーカーは物質、製造方法等のさまざまな方法でガードします。特許は公開されますので期間終了後に後発医薬品が市場に参入し、先発品メーカーは収益性が一気に低下していきます。
 現地は先発品の薬業団体を訪問できればよかったのですが、叶わずでした。基本的に先発品は品質効能重視、後発品は価格重視ということで、医薬品の品目数増加による競争激化があっても企業の存続を脅かすことはありえないという、先発品メーカーとの立ち位置の違いを学ばせて頂きました。
さてお土産は「ドイツのマイセンのカップ」です。
2_マイセン
 この二種類は日本にも入ってきていますが、モチーフはツタで手書きであるもののとてもシンプルな部類です。「マイセン(Meißen)」は、ドイツのマイセン地方で生産される磁器の呼称で、とても高価なものです。とりあえず記念ということ価格重視で最もシンプルな図柄なものを選んで購入しました。よくわからなかったので帰国時にうっかりと機内荷物にしてしまって、日本到着までには壊れると思いましたが、厳重な包装をしていただいたお蔭で全く無傷で到着しました。飛行機の預け荷物にしても問題ないくらい梱包にも強い配慮をする。ドイツ人の責任感の強さを感じさせられました。

(3)フィリピンとインドネシアの思い出(2002年)
 さて、こちらも労働組合時代ですが、個別に現地駐在員を訪ねて中国と東南アジアの拠点訪問をしました。特に印象的だったのはフィリピン、マニラとインドネシア、ジャカルタの駐在員訪問をさせて頂いた時です。当時のフィリピンは爆弾テロもあり、なかなか外出が厳しく、買い物は日本人会の乗り合いで行うという状況でした。しかもスーパーの商品管理も基本的に陳列すれば賞味期限切れでも置いておいてあるとか、即席ラーメンが高級衣料ブティック店で販売されているなど、中小企業診断士なら改善提案ができそうな実例が多数ありました。
 駐在員はきれいな高層マンションを社宅として提供されていましたが、マカティ地区という比較的平穏で24時間玄関に警備員がいる体制でもありながら、室内自体は作り付け家具や床が微妙に傾きもあり、住み込みのメイドさんを雇用することが奨励されていて、現地の方との人間関係や安全面が不安だというご相談を受けるなどストレスを感じる毎日のようでした。また、日本人同士でも会社の違う奥様方との人間関係は結構気を遣うらしくてくつろげないとのことでした。日本からご婦人向け雑誌をお持ちしたら、駐在員の奥様には喜ばれました。夜の街に連れていって頂きましたが、大きな舞台でカラオケを歌う日本人が居ましたが、少し怖さもあったので1時間で帰らせて頂きました。
 一方、ジャカルタですが、マニラに比較すればまだ環境は良かったと思います。印象的だったのは駐在員が運転手付き自動車で移動が基本で、ダッシュボードにはルピア紙幣が大量にありました。これは、現地視察する際にどこからともなく車を誘導してくださる方がいて、現地の運転手は都度チップを渡していました。この方々は、駐車する場所で雇用されているわけでもなく自発的に行っているフリーランスだそうです。
 こちらは、インドネシアで購入した「お面の壁かけとシバ神の置物」です。

3_インドネシアのお面 4_シヴァ神像

 シバ神の置物は当時の物ではありませんが、インドネシアは素晴らしい木彫彫刻が多く、ヒンズー教の神々の彫刻(シバ神、ビシュヌ神、ブラスマー神、ガルダ等)に加えて畳一畳分あるような木の板に浮彫で、古代インドの神話的叙事詩であるマハーバーラタの世界を表現した彫刻作品もありました。値段も張る大物なので、持ち帰りは断念しましたが、繊細かつ迫力がある品物でした。

(4)シンガポールの思い出(2017年)
 シンガポールは、個人的に1回、医療機器事業の人事部勤務時代に2回ほど参りました。当時の上司はシンガポール人で、比較的理解がある方である一方、人事責任者としての切れ味が鋭く、現地の難しい労務問題で連携作業をしたことがあります。
 東京から6~7時間でしたが、新型コロナ前は、感覚的には九州出張のくらいの感覚で足を運んでいる方も多かったです。
 私も現地の方の懇親会や移動中のタクシーの運転手との雑談は楽しかったです。玄関口となるチャンギ国際空港は中国、マレー、インド、欧米人と人種のるつぼという言葉がふさわしい文化交流の接点だったと思います。実際、現地スタッフの方は英語、中国語、マレー語に加えて一部日本語と多言語国家でした。現地は世界遺産のボタニックガーデンやマリナベイサンズが有名ですが、やはり定番土産は「マーライオンの置物」です。
5_マーライオン
 実際のマーライオンはそんなに大きくないので、札幌の時計台のように現実とイメージが異なるモニュメントですが、周辺は大観覧車やF1のシンガポールグランプリのスタンド等華やかな場所だと思います。

(5)海外家族旅行の思い出
 少し家族旅行の話もします。そんなに頻繁に行けませんでしたが、サイパン、オーストラリア、イタリア、台湾と行くことができました。やはり海外はビジネスより気の置けない方々と観光で行くのがいいと個人的には思っています。

【イタリア(2012年)】
 イタリアはミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ベローナ、フェラーリの工場、トレニタリアの新幹線、バチカン、ローマ、ナポリ、ポンペイ、カプリ島の青の洞窟等、新婚旅行の方もいる新婚旅行ツアーでしたが上げ膳据え膳だったので本当に楽でした。まずは「ベネチアングラスのセット」。きちんと金箔が張ってありなかなかいい赤色と青色です。
6_ベネチアグラス
こちらは、「真実の口とダビデ像」です。大量生産品ですがそれなりに味わいがあります。

7_真実の口 8_ダビデ像

 カプリ島の青の洞窟は天候が晴れでも波高が高いと内部まではいけませんので、当日までどうなるかわからなかったのですが、なんとか入洞できました。本当に海底の白い砂浜に青い光だけが反射しいて、正にかき氷のブルーハワイシロップの中に浮かんでいる気分でした。船頭さんにチップを倍はずんだらサンタルチアを歌って洞窟内を2周してくれました。今思い出しても良い思い出ばかりです。
9_青の洞窟

【オーストラリア(2007年)】
 こちらはたまたま秋のシルバーウィークが連休となり、オーストラリア ケアンズに参りました。気球散策や水陸両用車、野生動物(ワラビー、カンガルー、ポッサム、ワニ、エリマキトカゲ、土ボタル)のふれあいは、我が子にもいい思い出になったようです。個人的には一番の思い出は、いろいろありましたが、グレートバリアリーフ近隣に設置された人口浮島から記念にと思い、娘と一緒に海に入りましたが、足がつかない海で泳ぐのが怖いとしがみつかれ、本当に親子共々溺れそうになったことです。
 お土産は特にこれというものはなかったのですが、「ブーメランとカモノハシのキーホルダー」とオーストラリアらしいのを入手しました。

10_ブーメラン 11_カモノハシ

まとめ
 振り返れば、海外駐在員の経験をされた方々には頭が下がります。自分の場合、殆どが現地の現状把握と要望を人事施策の提案に反映するための調査ということでしたが、純粋な使命感で異国の環境に適応して現地をリードしていく姿は印象的でした。1990年代から2000年初頭は手厚い海外赴任者には手厚い処遇が存在したで、帰国後には住宅ローンを一括返済できるという話も聞きましたが、最後に勤務した医療機器会社は、海外業務が通常のことで、現地との一体感重視とういう考え方から現地法人へ転籍をして頂き、報酬も現地基準となりました。異論はなかったのですが、長期の海外赴任になる傾向があり、ご家族との関係が分断されてしまい現地の方と再婚された方もいましたので、こればかりは運という言葉では済まされないような状況も見届けることもありました。
 やはり、海外赴任自体が一括りできない多様な事情があるというのは理解しておくべきと思います。現地に赴くスタッフにどのような機会と処遇を付与するか。これは海外支援ではビジネスの立ち上げ同様に看過できないテーマであると感じたものです。
 海外進出の成功の鍵として「パイオニア精神(最近はファーストペンギンと言うらしいですが)」と「人を大切にする経営」としては重要テーマであると感じました。

■中川 聖明(なかがわ せいめい)
1996年中小企業診断士登録、特定社会保険労務士、第一種衛生管理者
製薬企業、精密機械企業で決算、税務、人事総務等の管理部門系業務に従事、現在は、ストローム経営管理事務所を開設し管理部門を中心とした中小企業支援に従事している。