Global Wind (グローバル・ウインド)

国際部 太田 薫正

 ベトナムの社会経済の発展は目覚ましく周知のところである。これは同国の教育水準の資するところが大きい。しかしベトナムに関心のある日本人であっても、教育環境について全体感のある資料に接している方はそんなに多くはないのではないだろうか。投資環境などに比べて資料は少なく、また時代による変化も大きい。他方ベトナムに関して企業活動にしろ、公的活動にしろ行う上では実際に大きな影響を受ける要因であるはずである。このような点から多少の意義があると考え、筆者が昨年から今年前半にかけて携わった調査結果の一部をご紹介したい。

調査タイトル

 調査目的は、日越の戦略的協力関係推進、ベトナムの社会経済発展基盤としての人材育成支援の為、産業人材育成政策・成果・ニーズなどの最新状況を把握することであり、前回2012年に行われた類似の調査から10年ぶりとなる。今後10年間にわたりベトナム人材開発支援の基礎資料となることが期待されている。
 B&Company では日越にまたがるチームを組成し、ベトナム語中心の文献調査、大規模なフィールドワーク、報告書作成まで全てベトナム人リーダーの下で行い、筆者は監修的な立場から方向性の調整を行った。また日本国内におけるインタビューは筆者が直接行い、有意義な経験となった。

 以下、調査の背景についてかいつまんで述べる。
 産業分野における人材育成は経済発展の基盤であり、国の競争力強化に不可欠とみられている。デジタライゼーション、グローバルバリューチェーンの深化、など新たな世界課題に対応する人材の供給も求められる。影響分野は全産業に渡るが、日越関係の現状からはやはり、製造業が最大の関心である。

 今回調査の重点は「高度人材」で、具体的には大学、研究機関、専門学校などで育成される。これに対し「基礎教育」は小学校から高校までにあたる。世界的な開発動向としても高度、基礎どちらを重視するべきか、どちらが経済発展に寄与するのかは議論・実践において変遷を経てきているのだが、ベトナムに関しては従来、基礎教育の評価が高く、日系企業の工場では多数の高卒社員が勤勉に働く、というモデルが優位点とされてきた。しかし今後は、労働集約産業における後発国との競争、世界で進むDX、などを受けて高度人材を強化していく必要性が高まることが予想される。
 一方で、現在のベトナムの工場やサービス業の現場がそんなに多くの大卒人材を必要としていない場合もあろうし、専門学校卒が雇用者から見ると専門性を備えた即戦力として認識されず、高卒と同じような待遇しか受けられない様子も目に浮かぶ。大学、専門学校卒人材の強化が必要だとしてもその方向性・内容・進展スピードについて、産業社会のニーズ進展と歩調が合っている必要があるのである。しかしこれは容易ではない。国としてはちいさな「ずれ」であっても多くの個人の人生に影響を与え、社会のありようにも関わってくる大事である。
 このような観点から、施策を考えていくための基礎として、産業や教育現場の状況・ニーズを的確に把握することが重要となる。特に企業、学校、政府、ドナー、学習者・労働者当人など、多様なステークホルダのニーズやそのニーズへの対応について、主体間の「ずれ」を把握・提示することができれば有益なのではないか、という狙いがあった。

※なお、「基礎教育」に関してベトナムのレベルが高いのを言うのはいいのだが、いまだに「識字率が96%」などという文献が多いのはどうかと思う。高校にはほとんど、二人に一人は大学に行こうかという国に対しては、もう「そういうレベルではない」のである(以上蛇足)。

 調査検討方法は、幅広い分野の文献調査に加え、現場の実情を把握するべく、1000以上の企業、100以上の教育機関、その他関係団体(詳細は下表)に対するアンケート・ヒアリングの実地調査を行い、その結果を受けて今後のベトナム高度人材育成の方向性、考えられる日本の支援についての提言をまとめた。

実地調査数
 
 以下、いくつかの項目で結果を述べていく。

1.高度人材教育の進展
 高度人材教育とはすなわち専門分野の教育、訓練、育成である。ベトナム政府は、大学、大学院、TVET(職業教育訓練機関)の発展に力を入れてきた。TVETは主に高校卒業後に入学する3年以下の課程である。
 過去10年間には高度教育全体としては学生が増加、教育内容の改善が大きく進んだ。ただし水準に満たない学校の淘汰統合や大学生が一時急増したことの反省から入学数の抑制が行われるなどの曲折があった。また、従来大学に近い位置づけで「短大」があったのだが、2017年からTVETに一本化、統合されたのは高度人材の教育体系における近年の大きな変化であった。

 まず大学入学者数をみると2005年度以降一貫して増加してきたが、2015年度からは横ばい傾向にある。
大学入学数

 一方、TVET校入学数は2013年から2018年の間だけでも約50万人増加した。最近では5年ごとに1000万人以上の卒業生を労働市場へ供給しているのである(ただし短期課程も含む)。ベトナムにおいて高校卒業後に就職せず上の学校に進むのは、「普通のこと」になった。ハノイやホーチミン市ではさらにこの傾向が強い。入学者の増加には私立校の増加が寄与しており例えば私立TVET校は2016年1232校から2020年1660校に増加、TVET校数に占める割合は同期間に46%から55%と公立を逆転した。これらの新設TVET校の設立には日本企業の関与も見られる。

 大学の教育水準については例えば、Scopusに登録された国際論文数は、2009年1,764から2018年の8,234へと4.7倍に増加した。又、英国クアクアレリ・シモンズ世界大学1000ランキングに2018年以降ベトナム国家大学ホーチミン校とハノイ校がランク入りしている。まだまだ日本等先進国水準には隔たりがあるが確実に質の向上も図られているといえる。

2.ベトナムにおいて求められる人材
 産業界で必要なのはどのような人材で教育機関はどのような教育を行った人材を供給すべきなのか。
 社会主義国ベトナムでは政府が計画を立てるが、産業現場は個々の実情に応じて企業判断を行う。「2030年産業開発重要目標・2045年ビジョン」(2018年決議23-NQ/TW)等のマスタープランでは高度人材育成が重要目標と記載され、「職業教育デジタル化・2030年までの方向性」や「国家グリーン成長戦略2021~2030年」では新たな分野で求められる専門人材についても規定している。総体的には大学や職業訓練プログラムの幅広い整備がなされるとともに、デジタライゼーション、インダストリー4.0、環境産業等の世界的潮流に対応できる人材の育成が期待されている。ついでながら、教育の全てのレベルにおいてグリーン成長に関する教材を取り入れるという項目は興味深く、教育訓練省がこれに責任を負うということである。

 企業現場からの人材ニーズとしては、高度人材・専門人材がより求められるという観点は政府方針と同様であるといえよう。しかし、より切実性が滲み出るとも感じる。アンケート調査結果では、今後必要とされるスキル・能力としてコミュニケーション能力などの「ソフトスキル」、問題解決能力などの「高度認知スキル」を求める回答が「専門技術」(知識、スキル)を上回った。
今後求められるスキル
 一方、「TVET校の授業は理論に偏り、卒業生は実践的スキル、特に企業環境に応じた技術の発揮に難がある」という声も多く挙がっており、現場では専門性に基づく実践能力を期待していることがうかがわれる。これらは矛盾するニーズのようだが、現場における「応用力」を求めているという点では共通している。人材採用・育成においては、「現在」と「将来」の人材ニーズを同時に満たすことが求められるが、条件の限られた現場においてそれを行うことの困難が読み取れるのではないだろうか。
 なお、大学やTVET校もこのようなニーズ(例えば「ソフトスキル」や「実践的技術力」)に応えるべく教育内容の改善を図る動きが見られるが、その成果は全体としては企業から評価を得られるほどにはなっていないようである。

 次に、求められる学歴については、経営、事務、技術者について要求水準の高まりが見られる。例えば、経営者層に対して院卒を求めている企業は現在34%だが今後は51%、技術者に対しては同9%から25%へ高まる 。
 一方、企業の大半(70%)は、ワーカーにTVET資格を求めていない。日系企業に限ると78%とさらに高い割合である。

「応募要件を特に設けていない。高校を卒業していればよく、あとは当社で働きながら一から鍛え直すことができる」北部・精密機械・人事部

「35歳以下で高卒であれば良い。健康で職務態度の良い人材を採用し、社内で専門的な教育を積極的に行っている」日系製造業大手

といった、”高卒で十分”という声も少なくなく、企業現場においては職業訓練教育は高卒との競合に晒されている。

求める学歴

3.企業と教育機関の連携
 産学の連携はますます活発化しつつあることが確認された。しかし一般的にはベトナムの高等教育機関の水準は、企業にとって得るものが必ずしも多くない。期待できるのは主に採用分野であり、ここで大きな満足を得ている企業がある一方、全体としては学校側と企業側の求める連携内容にはずれがあることも確認された。
産学の連携実績
 95%の高等教育機関が、様々な形で企業との連携を行っていると回答したが、逆に大学等との連携があると回答した企業は23%にとどまり、日系企業では16%と低かった。一方、全体で63%の企業が今後、高等教育機関と協力したいとしており、取り組む企業は増える可能性がある。
 提携活動のトップ3は、企業側からの数字で「インターンシップ・実習」(80%)「採用活動」(75%)「知識経験伝達」(56%)で大学から見た数字も類似である。双方、満足度は高い(不満があるという回答は、企業2%、高等教育機関4%)。なお、日系企業との提携については、言葉の壁や他国企業と比較して柔軟性に欠けるといった課題はあがるものの大きな問題ではないようだ。
 今後の提携内容は、企業側の期待は、「インターンシップ・実習」」(59%)と「採用活動」(57%)の2つが減少するものの依然として多い。これらの採用に関わる活動は大学側も継続を望んでいる。
 一方、大学側が今後最も期待するのは「研究開発」(現在74%→将来84%)、「寄付講座」(45%→84%)、などで、連携内容を専門分野において高度化・個別化させたいことがわかる。これに対し企業側も「研究開発」(44%→47%)、「寄付講座」(6%→44%)と大学の半分程度ではあるが取り組みたい率は上がっている。まとめると、幅広い企業で採用が提携の中心目的であり続ける一方、一部の企業が大学とより専門性を強めた提携を発展させていくことになりそうだ。

4.その他の内容
 本調査では、その他、ベトナム教育課程の概要、国家教育費用、大学の自律化の進展、経済成長における生産性改善の寄与、グローバル・バリューチェーン深化が人材需要に与える影響、JICA等各国や世界銀行など国際機関の支援動向、ベトナムに帰国した技能実習生の現状・活用機会、等多くの項目についてまとめた。日本語・英語・ベトナム語の3か国語版で300頁超、100以上の図表を含んでいる。通しで読んでいただくことはあまり期待できないが、個別の項目は各方面にとって興味深い点があるのではないかと思う。

 報告書全体は、ご関心ある方は以下リンクからご覧いただきたい。また、ベトナムで事業等の活動を行っていく際に必要であれば、本報告書を活かすためにもぜひお問い合わせいただきたい。
https://b-company.jp/ja/jica-industrial-human-resources-development-in-vietnam-report-was-published-jp/

 本調査・報告には社を挙げて取り組んだ。終わってほっとしたというのが正直なところである。振り返ると、ベトナムの教育、人材の状況に対しての様々な知見、今後の社会の発展、日越協力の可能性が感じられ興味深い作業であった。一方で、日本においてもこのような見直しが必要ではないかと感じられた。あったとしても、情報の多い日本社会で埋もれているのかも知れない。そのように我が身を振り返るという意味でも示唆のある調査であった。

■太田 薫正(おおた しげまさ)
東京都中小企業診断士協会中央支部 国際部 所属
エネルギーにあふれたベトナムに可能性を感じ、2008年より現地法人B&Company Vietnamを設立。現在、ハノイ、ホーチミン市2事務所に日本人若干名、ベトナム人約30名余りだがベトナム人中心で運営。多様な業界の市場調査・マーケティング・企業設立支援・販路開拓支援等を実施。

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