国際部 五百川 康子
前回の2023年9月「ブルガリア 発掘現場より愛を込めて」では、ブルガリアでの発掘について書かせて頂きました。今回は、同じく東欧のクロアチアについてご紹介させて頂きます。私は、新型コロナウィルス流行直前の2019年に、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナとともにクロアチアを訪れました(今回は観光です)。少しでも東欧の魅力をお伝えできればと思います。また、最後に前回ご紹介したブルガリアに関するニュースを少しご紹介します。
みなさまは、クロアチアと聞いてどのようなイメージが思い浮かびますでしょうか?バルカン半島のどこかにある国?サッカーが強い国?オレンジ屋根の観光の国といったイメージでしょうか。
クロアチアってどこにあるの?
クロアチア共和国は、ヨーロッパ南東部のバルカン半島に位置する国で、西側はアドリア海に面しています。スロベニア、ハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナに面しており、少しだけモンテネグロとも接しています。
特徴的なのは、海岸線が非常に長く、1,000以上の島々が点在していることです。海沿いにはドブロヴニクやスプリットがあり、首都ザグレブは内陸にあります。クロアチアは西ヨーロッパと東ヨーロッパ、そして中東への結節点にあり、歴史的にもさまざまな文化・勢力が交錯してきた戦略的な立地にあります。ヨーロッパとアジアを結ぶ物流・交通の要衝とも言える場所であると言えます。
Google Mapより
歴史で振り返るクロアチアの見どころご紹介
激動のクロアチアの歴史とともに、見どころをご紹介します。
クロアチアの地には、古代ギリシャ時代にはイリュリア人と呼ばれる民族が定住していましたが、紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王に征服されます。それも束の間、すぐにローマ帝国の支配下に入り、ダルマチア州として編入されることになります。現在のスプリトは港町の風情の美しい街ですが、そこにディオクレティアヌス宮殿(4世紀)というスプリト近郊出身のローマ皇帝が引退後に住んだ宮殿が残されています(自ら退位したローマ皇帝は珍しいですね)。
クロアチアの地は5~6世紀にはローマ帝国の衰退とともに、アヴァール人などの襲撃にあいますが、その際にはこの宮殿地下が襲撃から逃げたスプリト住民の住居となりました。詳細な観光案内はガイドブックに任せるとして、ディオクレティアヌス宮殿地下にある、1950年に発掘された宮殿建設当時の木製の梁は魅力的です。4世紀というと、法隆寺より古い木材ということですね。触ることもできます。
左から、スプリトの街並み、4世紀の木材に触れる(筆者撮影)
中世にはクロアチア王国が存在していましたが、1102年にハンガリー王国と同君連合を結び、その後はヴェネツィア共和国、オスマン帝国や、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下に置かれるなど、独立国家としての期間は限られていました。
ドブロヴニクには、ラグーサ共和国として独立していた12~17世紀頃の建造物が時代ごとの様式で見ることが出来ます。城壁に囲まれ、城壁の上や要塞には海に向けた大砲があり、ヴェネツィアなど当時、敵対していた勢力から防衛する必要があったことをうかがい知ることができます。ドブロヴニクは、海外で人気のドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の撮影地だったこともあり、海外の若者はあちこちで写真を撮っていました。ドブロヴニクはすばらしい歴史と景観を楽しめる街ですが、戦争の傷跡も残されています。これについては後述したいと思います。
アドリア海の真珠、ドブロヴニク景観(筆者撮影)
ちなみに、ドブロヴニクはオレンジ屋根が素晴らしい港町で、ジブリの「魔女の宅急便」のモデルになった街、と聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。しかしながらこれは誤りで、ジブリ公式見解によると、ストックホルムとヴィスビーがモデルとのことだそうです。
第一次世界大戦後、クロアチアはスラブ系諸民族とともにユーゴスラヴィア王国の一部となりました。ユーゴスラヴィアとは「南スラブ人の国」という意味です。第二次世界大戦中はナチス・ドイツのバルカン半島侵攻により、一旦「ユーゴスラヴィア」は占領されますが、チトー氏率いる抵抗運動により、1945年に再び「ユーゴスラヴィア連邦人民共和国」が創設されました。そして、このチトー氏が大統領となり、1980年に亡くなるまで、チトー大統領のもとで「ユーゴスラヴィア」として続いていきます。
当時のユーゴスラヴィアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と言われた複雑な多民族・多宗教国家でした。
強烈なカリスマ性を持つチトー大統領によって、西側にも東側にも属さないユーゴ型社会主義を確立します。しかしながら、チトー大統領が亡くなった後は崩壊に向かい、各地で民族主義の台頭による独立宣言とそれに伴う内戦が勃発します。(クロアチアでは内戦ではなく、独立戦争と呼びます)
少し話は逸れますが、スロベニアの首都リュブリャナから車で1時間半ほどの地に、「アルプスの瞳」と言われるブレッド湖があります。その湖畔にはユーゴスラビア建国の父、チトー大統領の夏の別荘があります。現在はヴィラ・ブレッドとしてホテルとなっていますが、あのチトー大統領が使っていた場所ということで、教科書やテレビの向こうの歴史が確かに現実にあったということを実感しました。(観光客は別荘の存在に気付かないかもしれません。ブレッド湖は船で湖中にあるブレッド島の教会にも渡れるので、とてもおススメ)
左から、ブレッド湖、ヴィラ・ブレッド(筆者撮影)
クロアチアは、1991年にユーゴスラビアからの独立を宣言し、それに伴いクロアチア紛争(1991〜1995)が勃発します。この内戦により経済・社会インフラに大きな損害がもたらされましたが、和平合意後は再建と欧州統合への道を歩み始めました。
ドブロヴニクは、非常に人気のあるリゾート観光都市となりましたが、石造りの建物には内戦の跡も刻まれています。ドブロヴニク旧市街のスポンザ宮殿にはメモリアルルームがあり、当時の記録や亡くなった方の名前を伝えています。リゾート地への観光に来ているという方々が大半なので、中に入る人は非常に少なかったです。左から、メモリアルルーム内の動画、壁に残る生々しい銃弾跡(筆者撮影)
1991年というと、日本では「101回目のプロポーズ」「東京ラブストーリー」など、トレンディドラマが人気を博していた平和で活気のある頃でした。つい30年ほど前に、この大勢の観光客が訪れているこの場所で悲惨な戦争があったことと日本の落差に衝撃を覚えます。旧市街には、他にも銃弾跡が見受けられる場所があります。現在の美しいドブロヴニクの街並みはユネスコの支援を受けて、再建されたものだそうです。ちなみに、ボスニアにも訪問しましたが、街道沿いや観光地であってもハチの巣のような銃弾跡のある建物が数多く存在しています。先ほど述べた、国家の成り立ちが複雑であるが故の側面であると思います。
クロアチアの経済
クロアチアは近年、EU(欧州連合)内でも比較的高い経済成長率を維持しています。2023年のGDP成長率は2.8%で、2025年には3.2%に達すると予想されており、観光業の好調やEU資金の流入、堅調な労働市場が成長を支えています。観光業は2023年にGDPの18.85%、2024年に22.35%を占め、2028年には25.87%に達すると予測されており、観光が経済の柱となっています。私が訪問した頃は、通貨はクーナでしたが、2023年1月からユーロが導入されました。通貨の利便性が上がったことも、観光客増加に貢献していると考えられます。
主な産業:
• 観光業:GDPの約20%を占め、アドリア海沿岸リゾートが中心。
• 製造業:造船、食品加工、化学製品。
• IT・スタートアップ分野:近年成長中。
日本との経済関係:
• 日本からクロアチアへの輸出:自動車、機械設備、電子部品など。
• クロアチアから日本への輸出:ワイン、オリーブオイル、食材、造船関連品。
最近では、スーパーのワインの棚にクロアチア産も並んでいますので、ぜひご賞味頂ければと思います。Plavac(プラヴァッツ)という品種から作られる赤ワインが有名です。(とてもおいしい)
最後に
観光案内とは少し違った視点から、歴史とともにクロアチアをご紹介させて頂きました。歴史を辿ると複雑な背景を持った土地であると同時に、本当に魅力的な国です。ザグレブのかわいらしいチェック柄の聖マルコ協会(横に地味な国会議事堂。元格闘家のミルコ・クロコップ氏は一時期国会議員をされていましたので、こちらに通っていたのですね。ザグレブは治安やや難)や、息をのむ大自然のプリトビチェ湖群国立公園、イタリア料理に近いシーフード料理、実はネクタイの発祥の地など、お伝えしたいことや見どころはつきません。
ぜひ、機会があれば訪れて頂ければと思います。左から、聖マルコ協会(横に国会議事堂)、プリトビチェ湖群国立公園 サッカーのモドリッチ選手のユニフォームを着た少年(スロベニアのリュブリャナにて)
(筆者撮影)
おまけ(ブルガリア関連ニュース)
2025年5月7日のテレビ東京の報道によりますと、日本政府がブルガリアのラデフ大統領の訪日に合わせて、ブルガリアとの二国間関係を「戦略的パートナーシップ」に格上げする方向で最終調整を進めていることのことです。2025年5月18日に大阪・関西万博で予定されているブルガリアの「ナショナルデー」に合わせて日本を訪れるラデフ大統領と石破総理大臣が会談し、両首脳が二国間関係を戦略的パートナーシップに格上げする文書に署名する方向で最終調整が進められているということなので、記事が公開される頃には正式に発表されていると思われます。
ブルガリアは、GoogleやAmazonが出資し、日本からトヨタ自動車や理化学研究所が協力する「コンピュータサイエンス・人工知能・技術研究所(INSAIT)」があり、隠れたIT・AI大国です。日本としては、戦略的パートナーシップへの格上げにより、国内で不足するIT人材の育成や投資などで協力関係を深めたいとのこと。
これを機に、経済分野での協力が拡大し、それ以外の分野でも交流が広がるのではないかと今後に期待しています。2023年9月 グローバルウィンド 「ブルガリア 発掘現場より愛を込めて」はこちら
■五百川 康子(いおかわ やすこ)
2022年中小企業診断士登録。紙業界、食品業界を経て、2024年に独立。食品業界時代は、冷凍食品の輸入実務やマーケティングに従事。現在は、食品業界や国際案件を中心に、マーケティング・ブランディング支援、各種経営支援、女性活躍研修などに携わっている。ロシア~東欧をバックパックで歩き、フランスとブルガリアで遺跡の発掘経験あり。
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