いきなり私事ではあるが、当時、私が勤務していた山一證券の「自主廃業」が最初に新聞等で報じられたのが1997年11月22日。そして、当支部の広報部長から原稿の〆切を知らせるメールが届き、この原稿の作成に慌てて着手したのが、2017年11月22日。そう、あの日から、今日で丸20年。「光陰矢の如し」、月日が流れるのは本当に早い。
 山一證券に勤務していたことを私が知人に伝える時、決まって受ける最初の質問は、「倒産すること、従業員はもっと早く知っていたのか?」というものだ。お決まりの答えは、「いいえ、朝のテレビニュースで知りました」。朝5時頃から鳴り止まない入社同期からの電話のベルに叩き起こされ、眠い眼をこすりながら電源を付けたテレビのニュースから流れるのは、「山一證券 自主廃業」の文字。最初は「自主廃業」という言葉の意味が分からず、「倒産」とほぼ同じ意味だと知ったのは、その日のうちだったか、翌日になってからだったのか、そのあたりの記憶は既に曖昧だ。
 大学を出たばかりの若者だった私が、あの日に学んだことは、「会社は突然倒産する」という事実だった。もちろん経営者は、その運命の日の到来を嫌々ながらも想像していたはずであろうが、一若手従業員に過ぎなかった私にとって、それは青天の霹靂以外の何物でもなかった。今となってみれば、「会社の存在とは絶対ではない」ということを得意気に語ったりする年齢にはなったが、20代の私が受けた当時の衝撃は、今でも鮮明な記憶のままである。
 今年が20年の節目にあたること、そして、最近、「山一證券」のことを知らない若者が増えていることが、この文章を書き始める契機ではあるが、もう一つ、「自主廃業」という言葉を想起させるキッカケもあった。
 ある会合で新規事業に関するプレゼンを行うために、2017年版の中小企業白書を読んでいたところ、今回は創業に関する内容が多いことに気が付いた。これまでの白書は、既存企業が継続的な成長を実現するために、新規事業に取り組むことの必要性について書いていることが多かったが、今年は、起業・創業についてのページが増えた。企業の開廃業率について国際比較もされているが、日本の開業と廃業は両方共に、欧米諸国に比べて少ないとのことである。新しく市場に登場する企業も少なければ、市場から退出する企業も少ないということになる。
 日本の産業活力を維持・発展するために起業や創業が増えるのが望ましいという点について多くの人が賛成すると思うが、なぜ、起業・創業は増加しないのか。白書では、これについて、起業を準備している人たちに「事業に必要な知識やノウハウが不足していること」が理由の一つであると挙げている。また、既存企業が新規事業に取り組む場合の課題についても、ほぼ同様に、「必要な技術・ノウハウを持つ人材が不足している」こととしている。
 中小企業診断士協会では、2016年に、「中小企業診断士の日」を11月4日と決めて、経営者の方々や社会一般の皆様に、中小企業診断士の存在や役割を知っていただけるような広報を強化している。今年は、YouTube上に「中小企業診断士チャンネル」も公開した。
 中小企業診断士の社会的な役割、その一つは間違いなく、起業・創業を希望している方の「知識やノウハウの不足」をお手伝いし、新規事業に取り組みたい企業の「人材不足」をサポートすることだと思う。
 山一證券が創業したのは1897年で、今から120年前。つまり、自主廃業は創業100年目の出来事であった。
 過去を振返りながら、中小企業診断士の我々が企業の誕生や企業の継続的な発展に貢献していきたいという未来に思いを馳せつつ、2017年11月22日という日が過ぎていく。

【略歴】
三澤 響(みさわ ひびき)
中小企業診断士
長野県駒ヶ根市生まれ。
関西学院大学卒業後、山一證券(株)を経て、(株)NTTPCコミュニケーションズに入社し、企業向けサービス(ネットワーク、モバイル、セキュリティ、クラウド等)のサービス企画、新事業開発に従事し、現在に至る。
2007年4月に中小企業診断士に登録し、現在、東京都中小企業診断士協会中央支部執行委員。