中央支部・国際部 甲斐 俊吾
はじめに
中国と聞いて、読者諸氏はどこの都市を思い浮かべるだろうか。政治の中心である北京、経済発展著しい上海、食の都である広州、最新AIなら深セン、悠久の歴史を語るなら西安など。中国はとにかく広大で、その都市は多様である。
では、大連(だいれん、中国語だとターリエンが近い)を思い浮かべた方はいらっしゃるだろうか。この都市は、歴史的にも、経済的にも日本との関わりが深い。それにもかかわらず、多くの日本人にとって、あまり馴染みがないのではなかろうか。
そこで、本稿では、この大連について、何回も訪問している筆者が自らの体験談も交えながら、ご紹介したいと思う。この街について、少しでも興味を持っていただければ幸いである。
大連はどこにある?
遼寧省の大連は、中国東北部の遼東半島の南端に位置し、渤海や黄海に近い。製造、金融、交通の要衝であり、中国の「東北地方」を代表する大都市である。中国で「東北地方」といえば、遼寧省、吉林省、黒竜江省の東北三省を指す。一つの地方と侮るなかれ。さすが約14億人もの人口を誇る中国、東北地方だけで1億人弱が生活を営んでいる。その南部に位置する大連は、東北地方全体から若者をはじめ人々が集まる。少し前のデータになるが、中国の国勢調査(第七次全国人口普査)によると、2020年11月時点の大連の人口は約745万人である。
大連は、中国でも日本から地理的に近い都市の一つである。空路だと、羽田、成田、大阪などから、日本海と朝鮮半島を横切れば、そこは大連である。往路か復路かで差はあるが、わずか2、3時間程度の距離である。機内食を食べ、機内で映画の一本も見れば到着するイメージだ。
大連空港(大連周水子国際空港)から市内中心部までは約10km、車や地下鉄で30分ほどの距離である。試しに地下鉄に乗ってみると、乗車前に空港並みの手荷物チェックがある。海外に来たのだと感じる。
市の中心に位置する中山広場周辺には、ホテル、金融機関、繁華街などが立ち並び、ビジネスマンや買い物客などで賑わっている。
(Wikimedia Commonsの白地図をもとに筆者作成)
どこか懐かしい街並み
大連は、19世紀末のロシアの進出、日露戦争後に日本による統治という複雑な歴史を経てきた。その後、第二次世界大戦後は中国に返還され、東北地方の経済の要衝として発展してきた。
筆者は、大連市内を移動する際、タクシーを利用することが多い。車窓から眺める街並みは、整然としており、かつ清潔である。漢字のみの看板が並ぶ街並みが続く中、ふと懐かしさを感じることがある。それは一部の建造物が、どこか日本の風景と重なるからだ。
その代表例が大連駅である。石づくりによる重厚な外観は、東京の上野駅を思わせる。実際、大連駅はかつて日本人の設計士が手掛け、上野駅の影響を受けたといわれる。歴史とともに大連を見つめてきた駅舎には、現代において、中国の新幹線である高鉄(ガオティエ)も発着する。
(photo ACフリー素材より)
さらに、市中心部である中山広場周辺には、旧大和ホテル(現大連賓館)や旧横浜正金銀行大連支店(現中国銀行大連支店)など、往時をしのばせる石造りの建物が今も残っている。これらの近代建築と、現代中国の高層ビル群とが同じ空間に共存している光景は、大連という都市の独自性を象徴しているように思われる。
(筆者撮影 旧正月(春節)に筆者が撮影したもの。地下鉄出口のガラスに貼られた縁起物の「福」に透けて、石造りの洋風建築がたたずむ)
日本語人材が豊富な経済都市
大連は、冬でも凍らない「不凍港」を有し、東北地方の玄関口として国内外の交易を担ってきた。この地理的優位性を背景に、1980年代以降の改革開放政策のもとで沿海開放都市に指定され、その後は経済技術開発区やソフトウェアパークの整備を進めてきた。その結果、現在では多くの外国企業が大連に進出し、従来から強みのある機械等の重工業に加え、ITやBPO(業務委託)といったサービス分野の発展も進んでいる。
外国企業の中でも、とりわけ日本企業の進出は顕著である。外務省「海外進出日系企業調査(2024年度)」によれば、大連の拠点数は1,680にのぼり、中国国内だと首位の上海に水を開けられているものの、それに次ぐ規模となっている。
その要因の一つとして、大連の日本語人材の豊富が挙げられるだろう。日本語を母語としない人々を対象とした日本語の試験として、日本語能力試験(JLPT)がある。2025年度第1回の受験者数をみると、中国国内で第四位である。上位の都市は、人口規模で大連を大きく上回る超大都市ばかりであるから、大連の日本語習得への熱の高さがうかがえるであろう。
筆者は大連に多くの知り合いがいるが、日本語が堪能であるだけでなく、日本企業の価値観や商習慣にも深い造詣を持つ人材が数多く存在する。こうした環境のもと、大連は重工業の生産拠点としてだけでなく、日本向けのIT等のサービス分野においても重要な拠点としても機能している。
(出典:JLPT2025年度第1回公開データより筆者作成)
現地ではどのような言葉が話されているのだろうか。大連では、中国語の標準語である普通話(プトンフア)が広く通じるが、地域特有の大連方言を耳にすることもある。大連の知人によれば、他地域の中国人はこの方言を、当地の特産物である海牡蠣になぞらえて、冗談まじりに「海牡蛎口音(海牡蠣なまり)」と呼ぶこともあるという。大連では、日本語を流暢に話す中国人も少なくないが、それに比べると、中国語で話そうとする日本人はそれほど多くないように感じられる。訪問の折には、せっかくの機会であるから、簡単な挨拶だけでもしてみると、双方の理解がより深まるかもしれない。
大連グルメ
さて、そんな港湾都市である大連を支える名物料理についても触れたい。大連といえば、目の前に広がる海の恵みを活かした海鮮料理が有名だ。カニ、エビ、アワビ、ナマコなど、新鮮な魚介類が豊富に水揚げされる。
市内の海鮮料理店では、ずらりと並ぶ水槽から自分が食べたい魚介類を選ぶのが一般的である。
(筆者撮影 生け簀から引き揚げられたばかりな立派なカニ)
(筆者撮影 何人分?食べきれないほどのカニ料理)
中国には、南方広州の食材の多様性を表す言葉として「空を飛ぶものは飛行機以外、四本足のものは机以外」という表現があるが、東北地方の大連も決して負けていない。たとえばヒトデ。あまり量はないのだが、食べられる部分はある。さらに印象深いのが海腸(ハイチャン)である。チューブ状の軟体動物で、「海の腸」と書くだけあり、その見た目は独特だ。写真はあえて掲載しないので、ご興味のある方はWebで検索してみてほしい。調理法はニラ炒めにしたり、これもまた有名な大連餃子の餡にしたりする。最初は戸惑いもあったが、食べてみればなるほど新しい食感が体験できる。
まとめ
東北地方の有数の経済都市であることも、名物が海鮮料理であることも、大連が港湾都市であるゆえである。その開放性ゆえ、日本を含む国内外との交通だけでなく、人材や文化交流の中心地として発展してきた。
本稿で見てきたように、大連は日本と地理的にも歴史的にも深い関わりを持つ都市である。懐かしい街並み、日本語人材の豊富さ、そして大連ならではの海鮮料理。これらが一体となって、大連という都市の個性を形成しているように思う。
中国を訪問するたびに感じるのは、その都市インフラ整備や街並みの変化の速さである。高層ビルは雨後の筍のようであり、鉄道や地下鉄は縦横無尽に伸びていく。
その中にあって、大連は中国と日本とをつなぐ架け橋としてあり続けていると思う。これからも、独自の魅力を備えた都市として発展していくことを期待したい。
■甲斐 俊吾(かい しゅんご)
2024年中小企業診断士登録。都内IT企業に勤務。何かと中国と縁があり渡航歴多数。
記事のコンテンツ・情報について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性や安全性を保証するものではありません。情報が古くなっていることもございます。
記事に掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。






