1.温泉とは
日本列島は火山帯に位置し、地熱の恩恵を受けて全国に3,000を超える温泉が湧き出ています。温泉は単なる入浴施設ではなく、
地中深くから湧き出る熱水や蒸気がもたらす自然の恵みであり、古来より人々の身体と心を癒してきました。温泉法により、
湧出時の温度や成分によって定義され、泉質は単純温泉から硫黄泉、炭酸水素塩泉など11種類に分類されます。これらの泉質は、
神経痛や冷え性、疲労回復などに効果があるとされ、まさに自然が与える「癒しの処方箋」と言えるでしょう。
温泉地には、山奥の秘湯のような静寂と孤高の趣を持つ場所もあれば、賑やかな温泉街として旅人を迎える観光拠点もあります。
湯けむりが立ちのぼる石畳の路地、木造の旅館、川沿いに灯るぼんぼりの明かり。こうした風景は、訪れる人々の心に郷愁を呼び起こし、
日常からの解放感とともに、土地の記憶と文化を体感させてくれます。
2.温泉の歴史
温泉の歴史は、日本人の暮らしと精神文化の変遷と深く結びついています。『日本書紀』や『万葉集』に記された温泉の記述は、
すでに古代から湯が癒しの場として重視されていたことを物語ります。戦国時代には武士の傷を癒す湯治場として、江戸時代には庶民の
長逗留による療養の場として、温泉は人々の生活に根付きました。
明治・大正期には、保養や慰安の場としての役割が加わり、昭和に入ると鉄道網の発達により都市部からのアクセスが容易となり、
団体旅行の隆盛とともに温泉地は一大観光地へと発展しました。特に高度経済成長期には、社員旅行や慰安旅行が盛んになり、温泉地は
「非日常の娯楽空間」としての性格を強めていきます。
3.歓楽型温泉地の特徴
この時代に生まれたのが「歓楽型温泉地」です。大浴場、カラオケ、宴会場、ナイトクラブ、芸者遊びといった娯楽要素を備え、団体旅行客
を中心に賑わいを見せたこれらの温泉地は、まさに昭和の旅情を象徴する存在でした。大型ホテルが林立し、1泊2日の短期滞在が主流となる中で、
サービスは効率化・画一化され、地域の個性よりも利便性と娯楽性が重視される傾向が強まりました。
そして、バブル崩壊後の経済停滞、旅行スタイルの個人化、レジャーの多様化により、こうした歓楽型温泉地は急速に衰退していきます。
廃墟化したホテル、閉店した飲食店が軒を連ねる閑散とした温泉街。かつての賑わいが嘘のように消え、地域の誇りと経済の両輪が失われ
つつある現実がそこにあります。
4.歓楽型温泉地復活への提言
令和の時代における温泉街の再生は、単なる観光資源の再活用にとどまらず、地域の文化、自然、そして人の営みを再び結び直す「地域再生」
として捉えるべきです。以下に、そのための具体的な提言を述べます。
① 滞在型・体験型への転換
団体旅行から個人旅行へとシフトした現代においては、「滞在すること自体が価値となる温泉地」への転換が求められます。地元の食材を
活かした料理、地域の人々とのふれあい、四季折々の自然を感じるアクティビティなど、五感を通じた体験が旅の記憶を豊かにします。温泉街
の路地をそぞろ歩き、地酒を味わい、地元の語り部から昔話を聞く。そうした時間の積み重ねが、旅人の心に深く残るのです。
② 地域資源の再発見と物語化
温泉地には、それぞれに固有の歴史と文化があります。古い町並み、伝統工芸、地元の祭りや伝承。これらを丁寧に掘り起こし、現代の
感性と結びつけて物語として再構築することで、他の温泉地との差別化が可能になります。たとえば、昭和レトロな街並みを活かしたフォト
ジェニックな演出や、アニメや映画とのコラボレーションによる聖地巡礼型観光など、地域の魅力を再編集する視点が重要です。
③ インバウンドと多文化共生
外国人観光客の増加は、温泉地にとって新たな可能性を拓く鍵です。多言語対応や文化体験の提供、ハラルやヴィーガン対応食の導入など、
異文化への配慮を通じて、世界中の旅人に「日本の温泉文化」を伝えることができます。温泉街の雪の中に灯る行灯の光、浴衣姿で歩く旅人
の姿、川のせせらぎと湯けむりの風景は、まさに日本ならではの情緒であり、世界に誇る観光資源です。
④ MICE・企業研修・高齢者施設など多様な需要の取り込み
大型ホテルの宴会場を多目的ホールに改装し、企業研修や展示会の会場として活用するMICE需要の取り込みや、温泉を活かした高齢者向け
住宅の整備など、温泉地の機能を多様化することで、観光以外の安定的な需要を創出できます。
⑤ 地元と外部の力を活用する
外部のホテルチェーンや再生支援企業の力を借りて、経営改善や集客強化、人材サポートを通じて旅館の特色を際立たせます。一方、地元
では住民・自治体・金融機関・旅行会社・旅館組合が協議会を設立し、街並み整備や宣伝活動を共同で推進します。さらに、家族経営の旅館
では都会に出た子どもやその家族が戻り、新しい発想を取り入れることで活力が生まれます。地元の力と外部の力を組み合わせることで、
温泉街全体の復活につながります。
日本の温泉地は、単なる観光地ではありません。それは、土地の記憶と人々の営みが織りなす「風土の結晶」であり、訪れる人の心を解き
ほぐす「時間のゆりかご」です。歓楽型温泉地が再び輝きを取り戻すためには、過去の賑わいを懐かしむだけでなく、未来に向けた希望と
創造を重ねていくことが必要です。
「いのちあたたまる温泉」は、これからも日本人のみならず世界中の人々に愛され続けるでしょう。あの賑わいをもう一度、これからも
温泉街の復活のために取り組みを続けたいと決心を固めています。
【プロフィール】
大野 進一 (おおの しんいち)
オフィスBig Field 代表
経済産業大臣登録 中小企業診断士
一般社団法人 東京都中小企業診断士協会 中央支部副支部長
公益社団法人 日本証券アナリスト協会 検定会員














