Global Wind (グローバル・ウインド)
ホーチミン・レポート

中央支部・国際部 山田 昭彦
    ホーチミン市を仮想の1日で紹介します。

 朝5時にノートルダム寺院の鐘がゆったりと響く。ベトナムが19世紀末にフランス領であった時に建てられ、今でも多くの信者が日曜のミサに訪れる。ベトナムは仏教国ではあるが、ヒンズーもイスラム教、キリスト教も仲良く同居しており、ベトナム人の許容力を示している。日曜日でも庶民の生活は朝から活発で、日が昇ると散歩がてらに道端で麺を食べ、アイスコーヒーを飲み、市場で買い物も済ませる。今朝はホーチミン市で最もポピューラーな朝食である、バインミーと呼ばれる、ハムや野菜をはさんだフランスパンを街角で買い求めた。
 8時にオープンするホーチミン博物館を訪れる。かつてのフランス領インドシナの市庁舎で、太い柱が重々しく歴史を物語る。1階は昔のホーチミン市での生活が再現されて穏やかなのに対して、2階はフランスからの独立やアメリカとのベトナム戦争の場面が生々しい。フランスからの独立は1954年で、アメリカとの戦争を終えて南北が統一されたのが1975年なので、この国はまだ若いと言える。国民の平均年齢27歳のベトナムは結婚ラッシュで、この博物館にはウエディングドレス姿で記念写真を撮るに来るカップルが多い。戦争の博物館で結婚写真の撮影とは違和感はあるが、平和であるからこそできることだ。

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 ホーチミン市は、独立の指導者のホーチミン(Ho Chi Minh、漢字では胡志明)の名前を取って戦後にそれまでのサイゴン市から名前を変えた。しかし、ひとびとはサイゴンという名前も愛しており、サイゴン川もサイゴン駅もサイゴンビールも、そのまま残っている。ここは昔にはカンボジア領の小さな漁村で、北部からベトナム人が移民し開けていった。中国からの移民も多く、人種が入り混じった点で、ベトナム人(キン族)中心の古都ハノイとは雰囲気が異なる国際都市である。タイ、マレーシア、シンガポールと距離が近いので、今後アセアンの交通、貿易の要所となる。
 パリのシャンゼリゼ通りのような広いアベニューでは繁った街路樹が暑い日をさえぎり、市内中央のきらびやかなオペラ座前ではまだ涼しい朝に野外コンサートが開かれることもある。広い通りはセーヌ川ならぬサイゴン川にぶつかる。ここでは食事も楽しめる遊覧船が川を上下し、河畔ではアベックが日陰で川を眺めている。
 午後はシャトルバスに乗って1時間、空港の近くにあるイオンのショッピングモールに向かう。途中の町では雑多な商店がどこまでも続き、800万人都市の広がりを感じる。イオンの外観は日本と同じなので日本に戻ったような錯覚に落ちる。1Fの食品売場にはまぐろや絹濾し豆腐があり、各国料理のレストランが並び、2F、3Fはファッションや住宅用品で、映画館やボーリング場もある。そしてベトナムらしいのは子供用品売り場が広いことだ。子供の数は平均2人台で、親の収入も増え、祖父母も含めた6つのポケットからのお金が子供に注がれる。都会の子供はハンバーグとフライドチキンの影響でみな丸顔でぽっちゃりとして、そしてわがままだ。
 イオンの大きな買い物袋を両手に持った奥さんが、旦那さんが運転するバイクに乗って帰宅する。両親の間にはさらに子供が二人バイクに乗っており、見ているこっちが心配になる。ベトナムの交通事故死者数は万を超えて、社会問題になっている。安全運転を祈る!

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 今日の夕食は日本人街で焼き魚にするか、ベトナムの蟹料理にするか悩んだが、ベトナムの紹介なのだから、蟹料理屋に向かう。1階の生簀には縛られた蟹がごちゃごちゃ詰め込まれ、中には抜け出して道を散歩するのもいる。2階の冷房が効いた部屋に上がり、蟹スープ、蟹のつめ、蟹春巻きと蟹チャーハンを頼む。旨い!何より海が近いホーチミンだから新鮮である。それでも蟹は市内では値段が高く、地元の人なら、オートバイで2時間のバリアブンタウの浜辺で、近くの海鮮市場で買った魚貝、えび、蟹をたらふく食べて、それでも市内レストランの半分以下で済ませることができる。それが庶民の休日の楽しみだ。
 今日の締めはサイゴン河の眺めと生ビールだ。フランス時代1925年創業のMAJESTICホテルの屋上で涼風に吹かれながらビールを楽しむ。作家開高健はベトナム戦争の報道記者としてこのホテルに泊まり、やはりサイゴン川を眺めてベトナムの行く末を考えていただろう。
 川を上下する貨物船を眺めていると、遠くに来たものだと思う。そして時代の変遷を想像する。

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■山田 昭彦(やまだ あきひこ)
2007年中小企業診断士登録。機械部品メーカに30年間勤務し、主に海外展開に携わった。2011年独立、2012年にKaiオフィスを設立した。