活動報告

専門家コラム「心理的安全性が高まる経営のあり方とは」(2025年10月)

1.心理的安全性とは

心理的安全性は、ハーバード大学のエドモンドソン教授によって提唱された概念で、「チームは対人リスクを負っても安全であるというチームのメンバーが抱く共通の信念」と定義されます。対人リスクの例としては、以下のようなことが挙げられています。
 ・質問したら無知だと思われる
 ・助けを求めたら依存していると思われる
 ・ミスをしたら無能だと思われる
 ・意見を言ったら協調性がないと思われる
 ・懸念やアイデアを言ったら、その場を乱すと思われる

つまり、心理的安全性とは、このような人から不利に評価されるリスクがあったとしても、このチームのメンバーであれば、誰もが恐れず安全に発言や行動ができる、互いに自分が完璧でなくても大丈夫であると信じている状態であるといえます。

2.なぜ、心理的安全性が必要なのか

心理的安全性が注目されたのは、Googleの「プロジェクト・アリストテレス」による「効果的なチームとは何か」の研究にあります。この研究では、効果的なチームにとって真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」よりも「チームがどのように協力しているか」であるとしています。ここでは効果に影響を与える因子として、以下の5つが挙げられています。
 ・「心理的安全性」
 ・メンバーの「相互信頼」
 ・チームの役割や目標が明確になっている「構造と明確さ」
 ・メンバーが仕事や成果に目的意識を感じている「仕事の意味」
 ・メンバーがチームの目標達成に貢献しているなど自分の仕事に意義があると思っている「インパクト」

そして、この中で圧倒的に重要な因子が心理的安全性であるとしています。Googleでは心理的安全性の高いメンバーの特徴として、以下のことを挙げています。
 ・離職率が低い
 ・他のメンバーのアイデアをうまく利用することができる
 ・収益性が高い
 ・「効果的に働く」と評価される機会が 2 倍多い

近年では、企業経営において人材戦略の重要性が高まっています。経営環境が早く、激しく変化し不確実性が増す状況で、業績を伸ばし企業を成長させるには、高いモチベーションを持ち、新たな市場を創造できる人材を確保することが不可欠となっています。そのため、人材をコストではなく、企業価値を生み出す資本として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方として「人的資本経営」の考え方が広まってきています。
欧米における人的資本情報開示の義務化が進む中、日本では2023年3月期決算より上場企業において、有価証券報告書における人的資本情報の開示が義務付けられています。これにより、人的資本の効果を最大化することが経営課題と認識され、人的資本経営への関心が高まるとともに、実践が求められるようになってきています。
人的資本経営におけるフレームワークの要素の一つとして、従業員エンゲージメントがあります。従業員エンゲージメントは開示が義務化されていませんが、内閣府の「人的資本可視化指針」やISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)において開示が求められています。従業員エンゲージメントとは、自発的に仕事に対する情熱を持ち、組織に対して貢献意欲があり関与している状態として用いられることの多い言葉です。したがって、心理的安全性が髙ければ、対人リスクを恐れず安全に発言や行動ができる関係の中でチームが協力し合い、離職率が低く、収益性が髙いという特徴があるため、従業員エンゲージメントを高めることにつながるとともに、人的資本経営の実践にもつながると考えられます。

3.人を大切にする経営で心理的安全性を高める

心理的安全性が高いチームのメンバーは、誰もがお互いを大切にして協力しています。そのような関係を醸成するためには、まず、経営が人を大切にしなければなりません。その経営のあり方が人を大切にする経営です。
人を大切にする経営とは、人を大切にする経営学会によれば「人、とりわけ社員等の満足度や幸せこそ最大目標であり最大成果と考える」経営とされています。自社に関わる人々の幸せを追求・実現することが、自社への愛情やエンゲージメントを高め、結果として業績向上や成長・拡大等がもたらされるという人間本位の経営のあり方です。ここで自社に関わる人々とは以下の5人を指します。
(1)従業員とその家族
 従業員とその家族は最初に大切にしなければならない人々です。従業員は顧客が幸せになるとともに感動する商品・サービスを創造します。そして、家族はその従業員を支える存在です。
(2)仕入先・外注先とその家族
 仕入先・外注先とその家族は社外で自社に協力し、仕事をしてくれている人々とそれを支える人々です。そのため、社外社員ということもできます。自社の仕事をしているため従業員の次に大切にすべき人々です。
(3)顧客
 ここでの顧客は現在の顧客と未来の顧客で、自社の存続を決定します。顧客が従業員の創造する商品・サービスで幸せを感じ、自社の存在価値を認めるからこそ市場が形成され、業績につながり、企業は事業を継続することが可能になります。また、幸せを感じた顧客は自社を推奨し、新たな顧客を創造してくれます。したがって、顧客は従業員が大切にしなければならない人々です。
(4)地域社会・住民
 すべての企業は社会的なインフラ無くして活動することはできません。そのため地域社会や住民への貢献は義務であるともいえます。企業の社会的な貢献が有益であると評価されれば、地域住民から応援される存在になります。
(5)株主
 株主は自社に出資し、支援してくれる人々です。株主にとって最も関心があるのは配当金や社会的に評価の高い株式を保有することです。これまでの4人が自社に対して幸せを感じ、貢献してくれていれば株主の満足する結果となります。

人を大切にする経営では、人を手段ではなく目的として考え、顧客を幸せにする商品・サービスを創造する従業員を第一に大切にします。人を大切にしない経営の中では、従業員が心理的安全性を高めることは極めて難しいのではないでしょうか。

4.人の何をどのようにして大切にするのか

 人を大切にする経営は、企業に関係する人の幸せ、とりわけ社員第一主義経営をぶれずに実践する人間本位の経営のあり方ですが、人の何をどのように大切にするのでしょうか。ここでは、人を大切にする経営とは、人が大切にしている人との関係を大切にする経営であると定義して、アドラー心理学の立場から考えてみます。アドラー心理学はオーストリア出身のアルフレッド・アドラーによって生み出され、後継者達によって発展した理論です。その目的の一つは人として、どうすれば幸せになれるかにあります。アドラー心理学の考え方に以下のようなものがあります。

(1)共同体感覚
アドラー心理学の中心的な考えとなるが共同体感覚です。共同体感覚とは、人間共同体への協力、所属感、信頼感、貢献感といった感覚のことをいいます。アドラー心理学において、共同体感覚を持つことが精神的に健康で、幸せになるためのゴールとされています。人は一人では生きられず、人と結びついた共同体の中でのみ生存できます。共同体では人がお互いに影響を与えあう関係性にあり、行動も共同体の中でのみ意味を持ちます。
他者に関心を持ち、協力して課題を克服し、他者の幸福に貢献すれば、共同体に所属するみんなの幸せの一つとして自分の幸せを実感できます。個人が共同体に積極的に参加し、成長することが共同体の成長にもなります。共同体にとって建設的で有益な行動が自尊心を育み、人生に意味を与えます。アドラーの言葉に「人生の意味は貢献である」というのがありますが、仕事が共同体の役に立ち、働きがいや仕事の満足感が貢献感につながる人が最も幸せであると考えます。以上から共同体感覚を持つ人は、心理的安全性も高い状態にあると考えられます。

(2)ライフタスク
人は対人関係の中で相互に影響し合っています。アドラー心理学では人間関係には3つの絆があり、それによって向き合わなければならない人生の課題(ライフタスク)が生じるとされます。ライフタスクには心理的な距離によって以下の3つがあります。これらは独立したものではなくそれぞれ影響し合っています。
 ① 仕事のタスク
 責任や義務、役割が問われるタスクであり、共同体に役立つのであれば報酬の有無に関わらず仕事とされます。したがって、職業だけでなく、家事、育児、介護、学業、レジャーも仕事のタスクに含まれます。3つのタスクの中で最も心理的な距離が遠く、簡単なタスクとされます。そのため、このタスクに向き合えなければ、他のタスクにもまともに向き合えないと考えられます。
 ② 交友のタスク
 友達や職場の仲間など、他者との社会生活や付き合い方、関わり方のタスクです。仕事のタスクより心理的距離が近いため難しく、他者への関心や互いの信頼、尊敬、協力が求められます。
 ③ 愛のタスク
 配偶者や家族など親密な関係に向き合うタスクです、最も心理的距離が近く、高度な協力や信頼が求められるため最も難しいとされます。
 
人の数だけ大切にしている人間関係があり、誰もがそのライフタスクに向き合っています。心理的安全性を高めるには、従業員が恐れることなく大切にしている人達とのライフタスクに向き合い、それぞれのライフタスクが達成できるような環境が重要になります。これら3つのライフタスクは共同体感覚を持つことにより達成できるとされます。

(3)勇気づけ
それでは良い人間関係を築き、他者と協力して共同体に貢献できるよう共同体感覚を育てるためにはどのようにすればよいのでしょうか。それにはまず、勇気づけが必要です。ここで勇気づけとは困難を克服する活力を与えることをいいます。
アドラー心理学では人は誰でも劣等感を持っているとされ、その劣等感を補うように人生の目標を設定し、優越感を得るため目標に向かって成長しようとすると考えます。しかし、勇気をくじかれていた場合、目標に向かう途中で克服しなければならない困難な状況を、自分が意味づけした様々な理由からどうにもできないものと評価し、自分に能力があることを信じられず目の前にあるライフタスクを回避しようとします。
勇気づけは、弱みや不可能と感じマイナスであると信じている状況を、強みや可能であると感じられるプラスの状況に変えることができるようにします。勇気のある人は、何かに依存することなく、自らライフタスクと向き合い、共同体感覚を自律的に育んで解決します。
そして、他者を勇気づけるようになり、次第に勇気づけが連鎖し、共同体感覚を持つ人が増えていきます。勇気づけには以下のような方法があります。

 ① 誰にも強みがあることを認める
 人は不完全な存在です。しかし、誰もが必ず共同体にとって有益になる強みを持っています。自分も他者も不完全であったとしても、活かせる能力や強みがあると信じることにより、自分を受け容れ他者も受け容れられるようになります。
 ② 人として信頼する
 信頼は相手の行動に善意を見つけ、無条件で信じてそのまま受け入れることをいいます。信頼し合う関係や友情で育まれた協力的な姿勢は仕事でも生かすことができます。
 ③ 人として尊敬する
 人には責任や能力、役割、功績、年齢などに違いがあったとしても、人間としての価値や尊厳に違いはありません。同じ人として存在していることについて尊敬し、礼節を持って相手と接することです。
 ④ できていることに注目する
 結果だけでなく、目標に至るプロセスに注目し、達成できた成果や成長を認めることです。会社の業績にとってどんなに小さな結果であっても、従業員本人にとっては目標に向かって努力した進歩です。結果が出るまでには時間がかかることもあります。その過程で自分の進歩が価値のないものと感じられれば努力を継続することは難しく、努力が継続しなければ成長も成功もありません。
 ⑤ 失敗を受け入れる
 失敗は学習の機会であり、課題を克服しようと挑んだ証拠です。失敗を個人と同一視せず、行為と行為者を分けて考える必要があります。
 ⑥ 貢献したことに感謝する
 感謝を伝えれば感謝が帰ってきます。感謝を伝えられた人が感じるのは、自分の有益な行動によって相手の役に立ち貢献したという共同体感覚です。
 ⑦ 相手に共感する
 ここでいう共感とは、相手の関心に関心を持つことです。人は誰でも自分に一番関心がありますが、仲間に関心を持つことによってのみ、人間の能力は発達すると考えます。

他者を勇気づける時は、まず自分自身が勇気づけられていることが必要です。勇気づけは相互信頼と相互尊敬の関係があって初めて勇気づけとなります。勇気づけるための特別な言葉があるわけではなく、ただ言葉だけを連ねても相手が勇気づけられることはありません。相手を自分にとって都合のいいように操作するのではなく、同じ目標を持ち社会に貢献する人として、自律的に行動できるよう勇気づけるのです。勇気づけには勇気づける時の態度が何よりも大切になります。
勇気づけにより共同体感覚を育てるとともに、心理的安全性が高まることにより、大切にしている人との関係を良好なものにできます。そして、それがさらなる心理的安全性の向上につながります。このように、人を大切にする経営の実践によって、心理的安全性が高まると考えられます。
業績を作るのは、人を大切にする経営によって心理的安全性が向上し、エンゲージメントが高くなった人達です。アドラー心理学を使って始めてみてください。

参考文献
坂本光司 「人を大切にする経営学講義」 2017年 PHP研究所
アルフレッド・アドラー 「人生の意味の心理学 上・下」(岸見一郎訳) 2010年 アルテ
W・B・ウルフ 「どうすれば幸せになれるか 上」(前田啓子訳、岩井俊憲監訳) 1994年 一光社
W・B・ウルフ 「どうすれば幸せになれるか 下」(仁保真佐子訳、岩井俊憲監訳) 1994年 一光社
岩井俊憲 「アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方」 2000年 コスモス・ライブラリー
ルドルフ・ドライカース 「アドラー心理学の基礎」(宮野栄訳、野田俊作監訳)1996年 一光社
エイミー・C・エドモンドソン 「恐れのない組織」(野津智子約、村瀬俊朗解説)2021年 英治出版

人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 2022年
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf

「効果的なチームとは何か」を知る
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/#define-team

人的資本経営コンソーシアム 「人的資本経営の現状・課題とトップランナーたちの取組」   2024年
https://hcm-consortium.go.jp/pdf/2024_soukai03_GoodPractice.pdf

非財務情報可視化研究会 「人的資本可視化指針」
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/wg/2210_04local/230428/local06_ref02.pdf

略歴
磯山隆志
東京都中小企業診断士協会 中央支部副支部長 総務部長 執行委員
中小企業診断士 認定経営革新等支援機関 ITコーディネータ ITストラテジスト システム監査技術者 情報処理安全確保支援士 健康経営エキスパートアドバイザー アドラー心理カウンセラー

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