はじめに
「DXを進めたいが、それを担える人材がいない」
中小企業の現場で最もよく聞く声のひとつです。昨今は、補助金やベンダー提案を活用してツール導入までは進んだものの、その先の活用・定着に課題を抱える企業も増えています。
では、外部から即戦力人材を採用すれば解決するのでしょうか?
本コラムでは、経済産業省や情報処理推進機構(IPA)が提示するDXリテラシー標準(DSS-L)の概要を参考にしながら、「即戦力に頼らず、社内人材の中からDXを担う人材を育てる」という現実的かつ効果的な進め方をご紹介します。
1.中小企業における「DX人材不足」という誤解
中小企業の多くがDXを進められない理由として、「人材不足」が最も多く挙げられます。実際、独立行政法人中小企業基盤整備機構の調査でも、55%の企業が「DX人材・IT人材の不足」を主な課題として回答しています。
ここで注意すべきは、「DX人材がいない=採用しなければならない」と直結させてしまう思考です。即戦力のDX人材は、都市部の大企業においても取り合いが激しく、待遇面でのハードルも高いため、中小企業にとっては現実的な選択肢とは言いがたいのが実情です。
また、情報部門を持たない企業では、DX/ITに関して「そもそも誰に何を任せればよいのか分からない」という根本的な悩みを抱えているケースも多く、DX推進が経営の優先課題であるにもかかわらず、着手できない状況が続いています。
2.技術よりも「変える力」が必要とされている
ここで注目したいのが、IPAが2022年に発表した「DXリテラシー標準(DSS-L)」です。これは、DX推進のために必要な思考や姿勢を、「Why(なぜ)」「What(何を)」「How(どうやって)」「マインド・スタンス(どう向き合うか)」という4つの視点に分けて整理したもので、専門職に限らず、すべてのビジネスパーソンが備えるべき基本素養と位置づけられています。
中手企業がDXを推進する上で、この中でも特に重要とされているのが、「Why」と「マインド・スタンス」の視点です。なぜ今DXが必要なのか、自社のどこに課題があるのか。それを腹落ちした上で、変化を自分ごととして受け止め、主体的に動こうとするスタンスが重要です。
DX人材にはさまざまなタイプが存在します。高度な技術を操る専門職ももちろん重要ですが、中小企業においてまず求められるのは、「自社の業務を深く理解し、課題を見つけ出し、なぜ変革が必要なのかを説明できる人材」です。
技術的な「How(どう実現するか)」は、必要に応じて外部ベンダーに委ねることもできますが、自社の課題を自分ごととして捉え、解決に向けて主体的に取り組む力は、社内にしか育てることができません。
3.DX人材は外からではなく、内から育てる
では、どうすればそのような人材を社内で育てられるのでしょうか。
まずは、従来の「誰か詳しい人がやってくれればいい」という依存的な姿勢から脱却する必要があります。全社員を対象に一斉に教育を施す必要はありません。初期段階では、以下のような人材に注目するとよいでしょう。
* ITに関する関心が高く、業務改善に前向きな若手社員
* 社内で「〇〇さんに聞けば分かる」と頼られている非公式リーダー
* 拠点横断で業務に関わっており、全体感のある視点を持つ人
これらの人材を「DXの推進役」として育成することで、社内に変革の核を生み出すことが重要です。重要なのは、スキルよりも「考え方」を身につけることが現実的です。
4.DX人材育成の5ステップ
DX人材を育成するには、いくつかの段階を踏んで成長を促す必要があります。それは、単に知識やツールの使い方を教えるのではなく、組織の中で「変革の担い手」としての当事者意識と実行力を育むプロセスです。以下にご紹介する5ステップは、筆者が現場での支援経験から導き出した「実行可能な育成の型」ともいえるものです。
ステップ1:DXリテラシーの基礎づくり(なぜ取り組むのか)
最初のステップは、DXという言葉の意味を理解し、自社にとってなぜ必要なのかを“自分の言葉”で語れるようになることです。
経営環境の変化や他社事例の紹介を通じて、「うちの業界にも影響がある」「自社の将来にも関わることだ」と実感することで、初めて当事者意識が生まれます。
この段階を飛ばして、いきなりツール操作の研修などを実施しても、本人の腹落ちがなければ行動変容にはつながりません。だからこそ、目的意識の醸成が最初に必要なのです。
ステップ2:業務の現状把握と可視化(何が課題なのか)
次に、自分たちの仕事の流れを整理し、どこに非効率や無駄があるのかを明らかにします。ここでは、現場の業務プロセスを「見える化」するワークが有効です。
たとえば、「この帳票を印刷して3回ハンコをもらっている」「同じ情報をエクセルと紙で二重管理している」といった業務実態が表面化すると、改善の余地に気づけるようになります。
現場の声を吸い上げながら、自分たちの手で業務の全体像を整理することは、後の「改善テーマの設定」の土台になります。
ステップ3:課題の設定と改善テーマの明確化(どう変えたいのか)
ここでは、前ステップで見えた非効率や無駄を「改善可能な課題」として再定義します。
ポイントは、「作業が大変」といった漠然とした声を、「どこに、どんな手間がかかっており、なぜ問題なのか」と具体化・構造化して捉えることです。
たとえば、「Aシステムに入力後、Bシステムに再入力している」など、誰が見ても“改善すべき余地がある”と納得できる状態まで言語化できるように支援します。
この段階で“言葉にできる課題”が明確になることで、次の改善実行フェーズの成功確率が格段に上がります。
ステップ4:小さな改善の実行と成果の可視化(やってみる)
改善の第一歩は、小さく、現場がすぐ取り組めるものであることが重要です。
たとえば、「社内共有フォルダの整理」「エクセルの自動集計マクロの導入」「紙ベースの申請をPDF化」など、成果が短期間で見えるものを選びます。
成果が可視化され、「やってよかった」と実感できれば、現場に自信と前向きな空気が生まれます。これは、次の改善への動機づけになり、組織としての「変化耐性」を育てる第一歩となります。
ステップ5:振り返りと横展開(自走する文化へ)
最後に、実施した改善を振り返り、良かった点・課題点・今後の展望を整理します。その上で、他部署・他業務にも展開できるかを検討します。
このプロセスを繰り返すことで、1人の育成にとどまらず、「改善の型」を社内に広げていくことが可能になります。結果として、“DX人材を育てる土壌”が組織全体に根付いていくのです。
5.人を育てずにツールを入れても、DXは根づかない
多くのDX支援の現場で見られる失敗は、「スキル教育が先走り、現場の文脈と結びついていない」ことです。言い換えると、「自社の問題を分析し、課題を設定する」という思考が欠けたままツールだけ導入してしまうと、現場に活用されないシステムが導入されてしまうことが発生してしまいます。
現場起点で「納得→発見→行動→成果→共有」の5つのステップを通じて、社内の人材を「DX(変革)の主体」に変えていく育成プロセスを経ることで、現場から始まる変革の文化が社内に定着し、DXが持続可能な取り組みとして根づいていきます。
ITベンダーに業務のDX化を依頼することは可能ですが、「何をどう変えたいのか」という課題設定そのものは、社内にしかできません。そこを曖昧にしたままシステム導入を進めてしまうと、「導入したけど使われない」「期待していた効果が出ない」といった失敗に陥ります。
だからこそ、ツールの導入よりも先に、自社の中に「変える力」を持つ人材を育てる必要があるのです。
おわりに
DXをどう使いこなすかは、企業自身に委ねられており、誰かが完成品を届けてくれるわけではありません。限られた人材リソースの中で、いかに活かすか。それこそが本質です。
「即戦力がいない」なら、今いる人材の中に育成の種を見出すことが、持続可能なDXの起点になるのではないでしょうか。
●略歴
■山浦 直晃
中小企業診断士 認定経営革新等支援機関
一般社団法人 東京都中小企業診断士協会中央支部 執行委員
中央支部経理部 副部長
情報処理サービス業にて、システムエンジニアとしてERPの導入コンサルティングを担当。約15年間で、100社以上のシステム導入を支援。
中小企業診断士としては、上記の経験を活かしたIT領域に関するコンサルティングの他、事業計画策定支援を中心に活動している。